――ヤナギヤクインテットからは脱退しましたが、その後、Mr.No1seさんは再度、アカペラの舞台で活躍することとなります。新潟県を拠点とするアカペラグループ「Vocal 7th Beat」(ヴォーカル・セブンス・ビート、※1)でのご活動は、その後のアカペラ界にさまざまな影響を与えることとなりました。
たとえば、お台場の「デックス東京ビーチ」で1999年に行われたVocal 7th Beatのライブ会場に、その後RAG FAIRとして活動することになるメンバーが観覧し、ライブ後にセッションをしていた…なんて話は有名です。Vocal 7th Beatとは、どのように出会ったのでしょう。
Mr.No1se:きっかけは、先ほども話に出た新宿のショーパブ「KON」につながります。そこの店長さんとはルームメイトでもあったのですが、その人が新潟県出身でした。
店長さんはのちに、家庭の事情で新潟に帰ったのですが、あるとき、こんな電話がかかってきたのです。「新潟に、いいアカペラグループがいるんだ。おまえが口でドラムの音が出せるという話をしたら、『ぜひ会わせてください』って言ってる」
よくよく話を聞くと、Vocal 7th Beatはアップテンポな曲も多く、なにより、「オリジナル曲」にこだわっているところがとても気に入りました。たまにカバー曲をやることがあっても、四拍子を三拍子にアレンジを変えたり。さらに、ほとんどのメンバーが、社会人をやりながら活動していた。すごいグループです。もちろん参加することにしました。ボイスパーカッションが入ったことで、「幅が広がる」と言ってもらえましたね。
路上ライブで人気が集まり、新潟のテレビ局が企画した単独コンサートでは1800席が満員になった。2時間半のライブです。テレビでもそのうち1時間が放映されました。ハモネプが始まる前だと考えると、すごいことです。
またお台場のデックスでは、3、4ヶ月に一度のペースで出演していました。当時はTRY-TONEさん(トライトーン、※2)とも共演していましたが、かれらはジャジーで大人な雰囲気。Vocal 7th Beatははアップテンポだったので、その差別化も良かったのかもしれません。中学生から大学生まで、幅広いファンがついてくれたことは驚きでした。「アカペラでもファンがつく」という実感が湧きました。
その頃に感じたのは「ボイスパーカッションの魅力は、やっぱりライブ感だ」ということです。打ち込みの音楽だけでは、なかなかあの雰囲気を出すことは難しかったのではないかと思います。その後横浜のラジオで、RAG FAIRのおっくん(奥村政佳、※3)とTRY-TONEの北村嘉一郎さん(※3)との3人で出演するなど、ボイパそのものが盛り上がっていく様子も肌で感じていました。
Vocal 7th Beatはその後いくつかのアルバムを発表し、2002年に解散しました。メンバーがコーラスの仕事で上京するという話だったので、「ぼくなら大丈夫だよ」と送り出したことを覚えています。その後、名古屋を拠点としたソロパフォーマーに戻りました。
愛知万博でのパフォーマンス
Mr.No1se:2000年頃からは名古屋の事務所に所属し、活動をしています。思い出深いのは、愛知万博(愛・地球博/2005)での仕事ですね。あとは、さまざまなイベントでの営業が中心です。名古屋にカラオケのJOYSOUNDの本社があるのですが、そのつながりでの仕事もありました。今でも、ぼくのボイスパーカッション講座が全国のJOYSOUNDで配信されています。
近年は、名古屋のお笑い事務所が主催するお笑いライブにも出演しています。お客さんが娘や息子の年代だもんですから、感覚を掴むのは、なかなか難しい。悩ましいですが、努力するだけです。
――現在は新型コロナの影響で、パフォーマーにとって難しい時代となっています。最後に、今後はどのような活動をしていくか、展望をお聞かせいただけますか。
Mr.No1se:コロナもそうですが、じつは最近リウマチになってしまったものですから、活動が難しい状況が続いています。そんな中でもできることを考え、現在準備を続けているのが、YouTubeを使った「音マネ講座」です。
ボイスパーカッションやヒューマンビートボックス講座は、ほんとうにたくさんあります。しかし、音マネ講座はほとんどありません。ぼくはやっぱり、そちらを伝えていきたい。地味でありながらも、ハッと驚いてもらうような、素朴な感覚が大事だと思うからです。
日本人はもちろん、文化が異なる外国人も楽しめるように。相手の年齢がいくつであっても、喜んでもらえるように。そういう発想が、ぼくの前提にあります。
動画の第一弾は「犬の泣き声」です。舌をひゅっと上顎につけるだけで、リアルになるんです。次はノコギリ、その次はヘリコプターかな。いま、少しずつ撮りためていて、今年5月の公開をめざしています。
いまでも、新たに耳にする音は、どうやったら音マネできるか研究を続けています。すべては、小学生の頃にフィンガースナップ(指パッチン)の音マネで、周囲を驚かせた経験につながっている。ぼくはこれからも一生、音マネを研究し続けていくと思います。
インタビュー:2021年4月
※1…Vocal 7th Beat・・・新潟県を拠点に1996年に結成し活躍。多くのアカペラグループに影響を与えた。2002年解散。
※3…TRY-TONE・・・トライトーン。1992年、早稲田大学アカペラサークルStreet Corner Symphony(SCS)内で結成したアカペラグループ。1994年「Etoile/12の星の物語」(ビクター)でメジャーデビュー。2001年アメリカBest Recording Awardsにおいてアルバム「A Cappella MAGIC BOX」が最優秀ジャズアルバムを受賞(公式HPより)
※3…奥村政佳・・・2001年、フジテレビ「力の限りゴーゴゴー!!」のコーナー「ハモネプ」に出演し、ボイパを日本に知らしめる。その後アカペラグループ「RAG FAIR」のボイスパーカッショニストとして紅白歌合戦などに出演。気象予報士、保育士、防災士。
※4…北村嘉一郎・・・幼少よりピアノとボイスパーカッション、ドラムに親しみ、早稲田大学在学中の96年、プロアカペラグループで「TRY-TONE」に加入し2007年まで活動。2011年から2020年まで国際アカペラ連盟「Vocal Asia(ボーカルアジア)」の日本代表として、日本と世界のアカペラ交流に尽力した。「鱧人」「The Idea of North」を中心にフリーのボイスパーカッショニストとして活動中。