1.出発点は「指パッチン」の音

Mr.No1se インタビュー

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――本日はインタビューをご快諾くださり、ありがとうございます。Mr.No1seさんへのインタビューは、当サイト設立以来の念願でしたので、とてもうれしいです。今回はMr.No1seさんのこれまでのご活躍について、順を追ってお聞きしていければと思います。まず、活動開始は1982年だとお聞きしていますが。

 

Mr.No1se:そうです。当時中京テレビに「5時SATマガジン」(※1)というバラエティ番組があり、その中で「ローカルスターベストテン」というコーナーがありました。中京圏(愛知・岐阜・三重)の人気者や、一芸を持っている人、誰かに似ている人などが登場するようなコーナーです。そこに出場したのが、この道に進むきっかけでした。

 じつは、自薦ではありません。友達が勝手に応募したんです。しかも、事後報告でした(笑)。テレビ局から「いちど撮らせてください」と連絡が来たので、披露しに行った。たいていは、かわいい女の子がバーンと1位を獲り、その後すぐに脱落したりするのですが、ぼくは赤ちゃんの泣き声やノコギリの音などを披露しながら、中ぐらいの順位をコンスタントに獲得していました。

 

 だんだんと注目してもらえるようになり、中京テレビの方が紹介してくれる形で、こんどはテレビ東京の「全日本そっくり大賞」(1982、※2)に出演し、優勝することができました。これが、初めての東京での活動です。

 その後、「全日本そっくり大賞」の歴代チャンピオンが集う大会(1985)でグランドチャンピオンを受賞したことで、名古屋の事務所から「うちに来ないか」と声がかかり、芸能界に入ることとなりました。

 

――友達が勝手に推薦するほどなので、Mr.No1seさんの声帯模写は地元でよっぽど評判が良かったのではないでしょうか。そもそも、どのようなきっかけで声帯模写を始めたのでしょう。

 

Mr.No1se:じつはぼく、昔からフィンガースナップ(指パッチン)がうまく鳴らせないんです。小学6年生くらいになると、同級生がみな、いい音で鳴らせるようになってくる。悔しいもんだから、さも指を鳴らしているかのように、「パチッパチッ」と舌を弾いてリアルな音を出したんです。それがスタートでした。その音に驚いてもらったことが、とてもうれしかった。その後、家が電気屋さんだったということもあり、掃除機の音やドライヤーの音、ノコギリの音など、身の回りの音をどんどん真似するようになりました。

 

 こんなエピソードがあります。中学生の頃、母に「部屋が汚いから掃除しなさい」と言われたことがあったのですが、ごまかすために「ウイィィィィン」と口真似をすると、あまりにリアルなので信じ込んでしまうのです(笑)。

 

 またこれは大人になってからですが、友達に子どもが生まれたというので、産婦人科へお祝いに行ったんです。病院の喫煙室で、ふざけて「おぎゃおぎゃおぎゃ」なんて言ったら、看護師さんが慌てて「喫煙室に赤ちゃんがいるの」と飛び込んできたり。とにかく、驚かせたり、反応を見ることがうれしかったんです。

 

 赤ちゃんやドナルドなど、高めの音は、マイクがなくても大丈夫。飛行機や花火など、どーんと低音を出すときはマイクを活用しました。周りに迷惑をかけないよう、自分の音を空気を伝って耳に届けるエアチューブのイヤホンを使って、夜中じゅう練習していました。そうやって幅を広げ、気がつけば100以上のレパートリーが生まれたんです。

 

――「驚かせる」という喜びが、だれもマネできない芸に繋がり、とうとう芸能界入りにつながる。すごい話をお聞きしました。

 

Mr.No1se:江戸家猫八さん(※3)は昔から伝統的にやっていますが、どちらかというと動物の鳴き声が多い方です。動物ではない(無機物の)ものまねは、当時は珍しかったと思います。もちろん、まったくいなかったというわけではなく、同時期に活躍した声帯模写のパフォーマーには、ケント・フリックさん(※4)や、レイパー佐藤さん(※5)がいます。佐藤さんについては、いまでは絶対に放送できない下ネタに振り切っていたのが印象的です(笑)。

 

 とにもかくにも、芸能界に入ってからは「まずは名古屋で3年間がんばろう」と決意し、ホテルの企業パーティ、市町村のお祭り、スナックやバーの周年祭などへの出演を続けました。テレビ番組へも、引き続き出演していました。たとえば全日本そっくり大賞の制作会社である「IVSテレビ制作」さんのつながりで、タージンさんがメイン司会を務める大阪の番組に出演したり。ゲストの安岡力也さんとロケに行って、声帯模写で大阪の人を驚かせたりなんかしていました。

 

※1…5時SAT(ごじさた)マガジン・・・中京テレビで1981年から1993年まで放送されていたバラエティ番組。マーキー、関根勤、北野誠、宇佐元恭一、大竹まことらが司会を担当。「ローカルスターベストテン」には名古屋電気高校時代の工藤公康や高校時代の神無月が出演し人気を集めていた。

※2…全日本そっくり大賞・・・1981年から1996年までテレビ東京系列局で放送されていた特別番組。愛川欽也、山田久美子らが司会を担当。

※3…江戸家猫八・・・初代江戸家猫八は江戸時代末期に生まれ、明治期に活躍し落語家。動物の泣き声の声帯模写で人気を博し、その技術は子孫に受け継がれる。三代目江戸家猫八は有名で、文化庁芸術祭大衆芸能部門優秀賞、浅草芸能大賞、紫綬褒章などを受賞。詳細は当サイト「ボイパと芸人」の系譜

※4…ケント・フリック・・・五木ひろしのボーリング、必殺仕事人のサウンドエフェクト、ゴジラに登場する怪獣の鳴き声など、声帯模写を「シチュエーションの工夫」によって笑いへと昇華。現在はラジオDJや舞台、映画などで幅広く活躍。詳細は当サイト「ボイパと芸人」の系譜

※5…レイパー佐藤・・・「ビンに小便をするウルトラマン」など、下ネタと声帯模写を組み合わせた芸を披露。詳細は当サイト「ボイパと芸人」の系譜