ボイパの歴史

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概要

 

 ボイパは模倣の文化である。「ドラムセットの模倣」という側面はもちろん、後進が先駆者の技術を模倣し、独自のアレンジを加える行為が繰り返されることで発展を遂げてきた。また、背景とする文化の異なる技術(ボイスパーカッションとヒューマンビートボックス)が相互に模倣しあい、影響を与えあうといったことも頻繁に起きている。

 模倣を基礎とする文化は無秩序で、その過程をすべて語ることは困難を極める。私がこれから記していく歴史に対し、「〇〇が書かれていない」「〇〇はそれほど重要ではない」「過剰解釈だ」といった意見も出るかもしれない。だが「はじめに」でも伝えた通り、まずは書きはじめることこそが重要だ。

 

 ボイパの歴史を紡いでいくにあたり、私は二つのポイントを重視したいと考えている。一つめは、「メディア」である。

 

 ‎近代以降のあらゆる音楽表現の発展は、(広義の)メディアとの関わり合いを抜きに語ることはできない。特に、録音機器や通信技術の発達が、音楽の発展に寄与してきたのは周知の通りである。ざっと「音楽とメディアの歴史」を振り返ってみよう(早速、脇道に逸れてしまうが、これから書いていく「ボイパの歴史」を考える上で多くのヒントがあるのでお付き合い願いたい)。

 

 1877年に誕生したレコードは、生演奏の代役という役割はもちろん、多重録音を始めとしたそれまでにない人工的表現を可能とした。レコードはターンテーブルに乗せることでミュージシャンの製作意図を超えた楽曲に生まれ変わることもある(レコード自体が楽器となる)など、音楽表現の多様化に大きなインパクトを与えた。

 1920年代のラジオ放送開始は、閉じたコミュニティで消費されていた黒人音楽を世に広める契機となった。つまり、譜面では表現しにくい黒人音楽の魅力(例えばブルースにおけるチョーキングやブルーノートなど)を伝えるきっかけになったのである。

 ‎そして、1950年代のテレビの普及である。エルヴィスが腰を振りながら歌うパフォーマンスは、世界をロックに目覚めさせるのに十分な衝撃があった。ミュージックビデオが音楽産業にもたらしたインパクトは改めて語るまでもないだろう。

 スマートフォンやSNS、音楽配信サービスの登場は、現在進行形で音楽を変化を与えている。まさに音楽とメディアは切っても切り離せない関係にあると言える。

 

 話をボイパに戻そう。関心のある読者は「ハモネプ」「録音BBS」「YouTube」といったメディア名を挙げるだけで、ボイパのメディアの関係性の深さにピンとくるはずだ。他のあらゆる音楽ジャンルと同じように、ボイパもまた、様々なメディアから深い影響を受けて発展してきたのである。これから私は、「メディアがどのようにボイパに影響を与えたのか」を一つ目のポイントとして、歴史を捉えていきたいと考えている。

 

 もう一つ、ボイパの歴史を整理する上で欠かせないポイントは、ボイパシーンを築いてきた「プレイヤー」を再評価していく作業である。

 ‎日本で始めてボイパが演奏されたのは約30年前と言われている。その間に、数多くのボイパプレイヤーが誕生し、その歴史を紡いできた。中には、カリスマ的な魅力や行動力、卓越した技術によって、アカペラ界やヒップホップ界のみならず、広く一般にまで多大な影響を与えてきた奏者も複数いる。本論では彼らの活躍を、尊敬を込めて、できるだけ丁寧に紹介していきたいと思う。

 

 以上のふたつのポイント――「メディア」と「プレイヤー」を軸に、以降でボイパの歴史をまとめていく。この作業の中で新たに見えてきた論点については、別項目「ボイパ論考」にて深く掘り下げていきたいと考えている。 

 


参考文献

サエキけんぞう「ロックとメディア社会」(新泉社)