2.剣舞とボイパが渾然一体となる瞬間

ボイスパーカッション奏者・剣舞家 和茶-Waccha- インタビュー

右手に刀、左手にマイクがトレードマークとして定着している
右手に刀、左手にマイクがトレードマークとして定着している

■「生命」を問い続けた人生

 

――ここからは、和茶さんのステージパフォーマンスについて、より詳しく聞いていきたいと思います。「和風ボイスパーカッション」というコンセプトは、どのようにして生まれたのでしょう。和茶:幼少期に始めた剣道や、地元のお祭に親しんだ体験から、和のものへの愛着はずっとありました。それを自分のパフォーマンスに取り入れようと決意したきっかけは2010年10月、佐渡島の太鼓芸能集団「鼓童」(こどう)の合宿に参加した経験です。

 

和茶:幼少期に始めた剣道や、地元のお祭に親しんだ体験から、和のものへの愛着はずっとありました。それを自分のパフォーマンスに取り入れようと決意したきっかけは2010年10月、佐渡島の太鼓芸能集団「鼓童」の合宿に参加した経験です。

 当時、ぼくはプロとして活動を始めて3年目で、多くのミュージシャンの方と一緒に演奏していました。しかし、今ひとつ自分の考えを表現しきれていないというフラストレーションがありました。

 ぼくが表現したいものとは「生命」です。幼少期に出会った剣道の師匠は、小学生にも満たないぼくに対して真剣に死生観について語ってくれる人でした。その影響で、ぼくはその後の人生をずっと、生と死について考え続けてきました。

 音楽で生命を表現したい。ただ、そのあまりにも巨大なテーマを表現するだけの力が、その時点のぼくにはありませんでした。

 

■和太鼓からヒントを得る

 

和茶:模索の中で出会ったのが、鼓童のパフォーマンスだったのです。和太鼓という、木の胴に皮を張っただけのシンプルな楽器で、観客の心をはげしく揺さぶる鼓童の皆さんに直接学び、ヒントを得たいという思いがありました。

 合宿の日程は一週間で、毎日、佐渡の大自然のなかで和太鼓を叩いて生活をしました。身体をいかに動かせば観客にとって美しく、演奏上も合理的かということを体感的に学びました。

 和太鼓は、出力される音の種類が決して多くない楽器です。ピアノやギターといった音階のある楽器と比べたら表現の幅はずっと狭いはずです。にもかかわらず鼓童が人を魅了するのは、身体表現と音楽表現が渾然一体となっているからだということを深く理解しました。そして、ボイスパーカッションも同じではないかと考えました。音楽表現とともに身体表現を追求すれば、もっと人を魅了できる。その先に、「生命」を表現することもできるのではないかと。

 

■「一期一会の音」を表現

ステージ上で剣さばきを披露
ステージ上で剣さばきを披露

 

――和茶さんは鼓童での合宿後、殺陣(たて)も始めていますね。

 

和茶:殺陣との出会いも人生を変えた契機でした。最初は、殺陣のパフォーマンス団体のサウンドエフェクト担当として、斬撃などをボイスパーカッションで表現する仕事がきっかけでした。殺陣のパフォーマーの皆さんからは、「同じ音が二度と出ないところがボイスパーカッションの良さだ」と言ってもらったことがあります。ボイスパーカッションは、まったく同じ周波数の音を二度と再現できません。だからこそ良いのだと言うのです。

 演舞が白熱していくと、ぼくの鳴らす音もキリキリとした音になっていく。すると殺陣のパフォーマーも、より感情を乗せた剣さばきをしてくれます。こうしたインタラクションは、マシンでの効果音にはないものです。ぼくが学生時代にアカペラで培ってきたアンサンブルの技術が生かされたとも言えます。

 その後、ぼく自身も殺陣師の米山勇樹さんが開く道場に入門し、「米山流殺陣術」を学びました。身体表現と音楽表現が渾然一体となる瞬間を目指して、ひたすら体の使い方を研究しました。身体の躍動を音で表現し、音で身体を鼓舞する。これはとても難しく、気持ちが入りすぎて音が先行し、身体がついていかないことがよくあります。

 自分の身体と向き合うと、心臓も呼吸も筋肉のリズムが見えてきます。それは決してインテンポ(正確な拍子)ではない。ですからぼくの演奏も、リズムを奏でつつもインテンポにはこだわらず揺らぎを表現しています。