4.楽しく防災意識を高める

KAZZインタビュー

講演も交えた明るいライブが展開される「花蝶風月」
講演も交えた明るいライブが展開される「花蝶風月」

――ボイパを武器に、たいへんな試練のなか道を切り開いてきたKAZZさんですが、2017年にPermanent Fish脱退という大きな決断をされます。そして大学院入学、Bloom Works結成と、新たな道へと進み始めました。これらはKAZZさんの原体験である被災経験が大きく影響していると思うのですが、改めてその想いについてお聞かせください。

 

KAZZ:ぼくはこのところ「震災の記憶が薄れてきている」という強い危機感を抱いています。

 これまでずっと学校などに出向き、震災経験の語り部をしてきました。最初のころは聴いている人にも実感がある様子でしたが、20年経つとリアルじゃなくなる。つまり「昔話」として捉えられているんです。「震災以前に戻っていっている」ということを肌で感じています。 

 30年以内に南海トラフ地震が高い確率で起きるといわれているにもかかわらずです。これはほんとうに怖いことなのですが、残念ながら、記憶というものはどうしても風化していくんですね。

 

 ぼくには、燃えるまちや真っ赤な空の鮮明な記憶があります。そして復興の際の苦しみも知っています。震災に直面したひとは、いろんな選択に迫られるわけですね。たとえば家がなくなれば、どこに子どもを預けるとか、年配の人をだれが引き取るのとか。避難所も喧嘩ばっかりです。そういう現実を伝えていかなければならないという危機感はここ数年高まっていました。

 

 そんななか、兵庫県立大学の大学院で、新たに「減災復興政策研究科」が生まれるということを知りました。ここでしっかりと学術的に学びながら、防災のための方法を伝えていこうと考えたのです。研究テーマは「防災と音楽」と位置づけました。

 

石田裕之との出会い

 

 研究を続ける一方で、大きな出会いがありました。Bloom Worksの相方・石田裕之さんです。大学院の教授が紹介してくれたのですが、かれもまた、アコースティックギターひとつで音楽をしながら、防災士として防災の大切さを広めていたのです。会ってすぐに意気投合し、防災士ふたりによるグループが誕生しました。

 ぼくたちの共通認識は「防災ソングは、だれも聴いてくれへん」という思いでした。防災意識の高揚をめざした既存の曲は、学校や自治体にはウケるけれど、一般の人がCDを買ったり、ライブを見に行ったりことはあまり考えにくい。自分もそういう音楽はやりたくないし。そこで、防災のエッセンスを曲の中に盛り込むような曲づくりをめざしはじめました。隠喩なのか直喩なのかは曲によってまちまちですが、とにかく楽しくてエンターテイメントな表現を通して防災を広めていこうという意識でやっています。

 

 ぼくたちが月一で開催を続けている「花蝶風月」というライブでは、演奏と演奏のあいだに防災のプロに講演してもらうパートを作っています。

 世の中には学会や講演会などさまざまな防災イベントがありますが、もとから防災に興味がある人しかこないものばかりに感じます。学会ではおもろい先生がいっぱいいて、良いことが語られているのに、一般に広まっていきません。それならば「おもろい先生に、こっち側のフィールドに来てもらったらいいんじゃないか」という発想で「花蝶風月」は生まれました。

 

<以下、筆者補足>

 

 筆者はBloomWorksが月一で開催している「花蝶風月」に参加した。神戸三宮のライブハウス「Ageha Base」にて開催されているイベントである。7月11日のイベントに訪問すると会場は満員。女性客や仕事終わりのサラリーマンと思しき客など平均的な年齢層は30代〜50代くらいの印象であった。

 Bloom Worksのふたりによる演奏が始まると、観客はそのエモーショナルなパフォーマンスに引き込まれる。数曲の演奏が終わり、割れんばかりの喝采が会場を包んだと思いきや、KAZZさんの紹介により被災地NGO恊働センターの頼政良太氏が登場する。全国各地で行ってきた被災地支援の様子などを語ると、さきほどまでの熱気を保ったまま真剣に聞き入る観客の姿が見られた。講演が終わると再び演奏がはじまり、一体感に包まれたままラストへと向かっていく。

 そこには、音楽と防災情報が自在に行き来するような仕組みが完成されていた。会場では飲食のほか、優秀な非常食とされる「カンパン」をアレンジしたスイーツが振る舞われるなど、細部までコンセプトが徹底されていた。

 

 

 この「花蝶風月」を基礎として年に一度開催されるのが「BGM²」(ビージーエムスクエア、http://bgm-2.com/)というイベントである。防災、減災、ミュージックの各頭文字をとった名称であることと、「お店で自然と耳にするBGMのように、いつも心に流れる防災・減災の意識を」というモチーフを重ね合わせて作られた名称だ。

 第一回は今年4月に神戸市で開催され、さまざまなアーティストが登場。2000人もの来場者があった。第二回は2020年4月に開催予定である。 

満員の会場はBloom Worksによる熱のこもった演奏に包まれる
満員の会場はBloom Worksによる熱のこもった演奏に包まれる
スイーツとして提供されたカンパン。口が乾きやすいカンパンを、唾液の分泌を促す砂糖でコーティングすることで食べやすくした。被災地において水が足りない場合にたいする工夫である
スイーツとして提供されたカンパン。口が乾きやすいカンパンを、唾液の分泌を促す砂糖でコーティングすることで食べやすくした。被災地において水が足りない場合にたいする工夫である
会場で販売される「腕笛」。日頃から身につけておけるようにと、ファッション性のあるデザインとなっている。またこの笛を吹くことで観客が参加する曲はライブの恒例だ
会場で販売される「腕笛」。日頃から身につけておけるようにと、ファッション性のあるデザインとなっている。またこの笛を吹くことで観客が参加する曲はライブの恒例だ

  

「音楽による復興支援」の枠組みをつくる 

 

――KAZZさんらの取り組みは、防災の大切さを語り継ぐためのひとつのきっかけになって欲しいと願っていますし、個人的にはそうなると信じています。その一方で、被災地において苦しんでいるひとにたいしては、音楽という表現はいかにも届きにくいのではないかという印象を抱いています。防災と音楽は遠いようで近く、近いようで遠い存在ではないかと考えるのですが、いかがでしょうか。

 

KAZZ:これはぼくの研究論文の題材にもしていることなのですが、一般的に被災地において、音楽はすぐには必要とされないんですね。当然のことながら、生きていくことに必死ですから。しかしある程度落ち着いてきたどこかのタイミングで、音楽はとても必要とされるのです。

 

 相方の石田さんは、東日本大震災の際にボランティアとして被災地に駆けつけました。かれは現地につくと、音楽活動はいっさいせず、ドロかきの作業からはじめました。しばらくすると手作業によるボランティアへの需要が下がっていき、比例するかのように音楽への需要が上がっていきました。そのタイミングでようやく音楽活動をはじめたのです。すると被災地の方にすんなりと受け入れられていった。

 じっさいに手を動かすことによって被災者からの信頼を得つつ、必要とされたタイミングで音楽を届ける――。「音楽による復興支援」のモデルとなるような事例です。

 

 Bloom Worksとしても被災地に行くことがあります。たとえば2017年の九州北部豪雨のあと、ぼくたちは大分県日田市に訪問しました。現地に到着し演奏を終えたあと、「みんなで歌いましょう」と題したコーナーを企画しました。被災者の方とじっさいに一緒に歌うと、泣き出すひとがいたんです。「声を出して歌うことがなかった。避難所でなにかを楽しもうとしたら、ひんしゅくを買うという雰囲気があった」とのことでした。ぼくたちが行くことによって、過度な自粛の雰囲気を打破するきっかけが生まれたのだと思います。

 ぼくたちは車が通れないような場所でも、気軽に行けます。持ち物はポータブルのスピーカーとギターだけでいいので、身軽なんですね。あとはやはり、元気食堂のときと同じように、ドラムじゃなくてボイパだから受け入れられている部分もあると思います。被災地訪問の活動はこれからも続けていきたいと思っています。

 

 こうして積み上げていった事例をもとに、音楽支援の枠組みづくりをさらにブラッシュアップしていきたいと考えています。具体的には、万が一の災害に備えて、各地域で防災意識のある音楽アーティストらが連携しておく仕組みづくりを進めています。「BGM²」はそのひとつの実践でもあります。これからもイベントを着実に積み重ねていくことによって、防災の輪を広げていきたいと思います。

 

 南海トラフ地震が発生した場合、最大で32万人が亡くなると想定されています。しかし防災意識が徹底され、防災体制が理想とされる状態に整った場合、6万人にまで減らせるとされています。その状態をなんとか作っていくことが、ぼくたちの使命です。