2.「音マネ」から「ボイスパーカッション」へ

Mr.No1se インタビュー

Mr.no1se参加作品の数々
Mr.no1se参加作品の数々

放送作家・木崎徹との出会い

 

Mr.No1se:そして「修行」と位置づけた3年が経ち、名古屋から東京に行く時期がやってきました。とはえいえ、どの事務所に所属するか、アテがない。そんなとき、清水アキラさん(※1)と営業で一緒になったんです。

 

 清水さんに「東京に行こうと思っている」と伝えたところ、「事務所が決まっていないのなら、おれの知っているショーパブに行ってみたらいい。そこはいろんな業界の人がくるから、うまくひろってくれるかもしれないよ」と、新宿の「KON」というお店を紹介してくださった。そのショーパブで出会ったのが、「夜のヒットスタジオ」などを手掛けた、放送作家の木崎徹さん(※2)でした。ちなみに、木崎さんに頂いたのが、Mr.No1seという名前です。

 

 木崎さんには本当にお世話になりました。たとえば酒井法子さんがラジオ風のコメディチックなCDブックをつくるというので、音マネを吹き込んで参加しました。『NORI-Ping』(1987)という作品に収録されています。

 

 また木崎さんは当時、バブルガム・ブラザーズ(※3)の顧問をやっていました。その縁で、バブルガム・ブラザーズの仮所属になったんです。かれらとともにフィリピンのセブ島に行って、ロケをしたこともあります。そこで動物の泣き声や波の音、ヘリコプターの音や飛行機の音を披露すると、とてもウケました。

 しゃべって笑わすのは、言葉とか文化など、共通の話題がたくさん必要です。しかし、声帯模写は、音だけで楽しませることができると知りました。もちろん、セブ島には地下鉄なんかないので、地下鉄のマネをするわけにはいきませんけれど(笑)。ちなみに現地での様子は、『あぶないビデオ』(1989)という作品に収録されています。

 

 そして何より、バブルガム・ブラザーズとのつながりが、「曲にドラムの音をあてる」ということを、本格的に考え始めるきっかけとなったんです。

 リズムのある音マネ自体は、ずいぶん前から始めていました。たとえば「ウォークマンのイヤホンから漏れる音」のようなネタは中学生の頃からやっていましたし、本格的なドラムの音は、映画『ポリスアカデミー』(1984、※4)のマイケル・ウインスローのかっこよさに影響され、独学で学んでいました。

 

 そんな前提がある中で、バブルガム・ブラザーズと出会った。とくにブラザー・コーンさんには、細かなリズムなどを教えてもらいました。ライブも出させてもらったりして、コーンさんのラップと合わせたり。すごく盛り上がりましたね。その経験が、「ヤナギヤクインテット」(※5)での活動につながっていきます。

 

「ヤナギヤクインテット」への参加

アマミアン・サンセット
アマミアン・サンセット

 

――「ヤナギヤクインテット」といえば、現在も根強いファンが多いコーラス・グループです。かれらは奄美出身なので、名古屋出身のMr.No1seさんとは遠いように思いますが、どのような出会いがあったのでしょうか。

 

Mr.No1se:こちらも、木崎さんがきっかけでした。ヤナギヤクインテットは当時、都内の路上パフォーマンスやっていたんです。そこに木崎さんが「うちに口でドラムやるやつがいるけど、いるか?」と声をかけ、加入することとなりました。当時は、海外でもボイスパーカッションは珍しかったと思うんですよね。

 レコーディングは苦労しました。音質に集中しすぎちゃったり、息継ぎのタイミングも難しく、リズムがモタっちゃったりした。のちに、息を吸いながらスネアやハットの音を鳴らす技術をだんだんと覚えることができましたが、当初は本当に試行錯誤でした。周りを見渡しても、お手本なんていないですから。

 

 そうして生まれたのが『アマミアン・サンセット』(1992、※5)という曲です。冒頭に流れるカモメの音や、波の音もぜんぶ口でやりました。リズムは、ドラムの音というより「ウッ」「アッ」という肉声に近い音なのですが、これは奄美の美しい風景を思わせる曲調に合わせたものです。

 

 そこから3年間くらい活動を続けました。思い出に残るのは、鹿児島で開催したクリスマスの野外ライブです。現地として珍しい、雪の降る夜でした。マイクが氷のように冷たく、手袋をしてマイクを握ることになったのですが、フィンガースナップが鳴らせない。そこで役に立ったのが、ぼくの原点であるフィンガースナップの音マネです。技術はかなり進化しており、複数人が音を鳴らしているかのような音を出せるようになっていたので、バラード調の曲にとてもよく合いました。

 

 また東京の門前仲町でマンスリーライブをやっていたのですが、早稲田大学時代のゴスペラーズ(※6)が、よく勉強しに来ていました。「オリジナル曲を作ったんですが、聴いてもらっていいですか」と積極的な姿が印象に残っています。

 

 そのうち、ヤナギヤクインテットのプロデュースが、木崎さんから他の方に変わりました。それまではアカペラやコーラスの要素が大きかったのですが、ヒップホップ系の曲が増えていった。楽曲も打ち込みが増えたので、ぼくの出番が少なくなっていったんです。参加できたとしても、ぼくの音をサンプリングして打ち込むような格好が増えて…。

 

 アルバム『NAMTOM-DO』(1994)では『Morning NO1SE』という、ぼくの音源だけで構成される曲も収録されました。とてもうれしかったのですが、どちらかというと「ゲスト出演」のようになっていったんです。「いまさらコーラスに転身するのも難しい」ということで、ソロ活動に戻ることにしました。

 

※1…清水アキラ・・・ものまね芸人。かつてメンバーだったコメディ集団「ザ・ハンダース」でシングル『ハンダースの想い出の渚』をリリースし30万枚のセールスを記録。解散後はフジテレビ「ものまね王座決定戦」でものまね四天王の一人と称された。

※2…木崎徹・・・放送作家。「夜のヒットスタジオ」「FAN」「ポップジャム」などを担当。バブルガム・ブラザーズなどの音楽プロデューサーとしても活躍。

※3…バブルガム・ブラザーズ・・・ブラザー・トム(Bro.TOM)とブラザー・コーン(Bro.KORN)により1983年に結成。シングル『WON'T BE LONG』(1990)はミリオンセラーを達成。

※4…ポリスアカデミー・・・アメリカ合衆国で制作されたコメディ映画。1984年から1994年まで全7作品が公開されている。マイケル・ウインスローの声帯模写はボイスパーカッショニスト・KAZZにも影響を与えた。

※5…ヤナギヤクインテット・・・柳屋クインテット/YANAGIYA-V。奄美大島出身のアカペラコーラスグループ。元々はドゥーワップベースのグループであり、インディーズでCDをリリース後、1993年にメジャーデビュー。VOX-IVと改名後、2001年に活動休止。

※5…アマミアン・サンセット・・・TDK RECORDS。奄美にあるじっさいの地名と男女の恋を、空と海の鮮やかさとともに描いている名曲。ちなみにカップリング曲の「GOD BLESS YOU!」は、ロッカペラをプロデュースした幾見雅博氏が編曲をしている。

※6…ゴスペラーズ・・・1991年、早稲田大学のアカペラ・サークル「Street Corner Symphony」で結成。2000年『永遠(とわ)に』2001年『ひとり』が大ヒット。2001年のアルバム『Love Notes』はミリオンセラーに。代表曲はその他『星屑の街』『ミモザ』など。

※7…NAMTOM-DO・・・TDK RECORDSより。リリース名義は前作同様「Yanagiya Quintet and Mr.NO1SE」。13曲入。