おっくんの「気楽さ」

 日本で最も有名なボイパプレイヤーのひとりが、「おっくん」こと奥村政佳である。

 2001年当時大学生だったかれは、フジテレビ「力の限りゴーゴゴー!!」のコーナー「ハモネプ」に登場。そこで披露した声と息による打楽器の模倣技術は、当時の若者に対して大きな衝撃を与え、アカペラやボイパに熱中するきっかけを与えた。次章で紹介するHIKAKINをはじめ、様々なボイパプレイヤーが、奥村からの影響を公言している(※1)

 ハモネプでの活躍は当サイト「ハモネプの物語」で紹介した(※2)。本章では、奥村の「ハモネプ以前」と「ハモネプ以後」について論じていこうと思う。その作業を通し、かれの「媒介者」的な特徴について考えていきたい。

 

 まずは簡単に、奥村のボイパとの出会いについて触れておこう。子どもの頃からヴァイオリンを習い、高校時代にはTAKE6(※3)に熱中したというかれが本格的にアカペラを始めたきっかけは、入学した筑波大学で見た、アカペラサークルDoo-Wapのグループによる演奏だ。特にビートルズの「HELP!」のカバーにはとても感動したという。

 入部当初は、歌のパートを担当していた。しかし「高校3年生から」という極端に遅い変声期の影響で、徐々に歌声のコントロールが難しくなっていった。それでもアカペラを続けたいという熱意のなか始めたのが、ボイパだった。

 はじめは「チーチッチキチー」といった4ビートのシンバルのみの演奏からはじめた奥村。当時は国内のボイパプレイヤーの数は少なく、海外のアカペラ音源を参考にしながら徐々に独自の音色を獲得していった(※4)。とりわけ、歯に空気を当てつつ声を発して音色をつくる演奏方法(=「有声音ボイパ」)は、かれの代名詞的な奏法として知られている(※5)

 

 奥村はそのボイパ技術を駆使し、数多くのグループを掛け持ちすることとなる。TRY-TONE(トライトーン)やゴスペラーズなど数々のプロアカペラグループを輩出した早稲田大学アカペラサークルStreet Corner Symphony(ストリートコーナーシンフォニー)をはじめ、埼玉大学アカペラサークルCHOCOLETZ(チョコレッツ)など、当時のアカペラシーンをけん引していたサークルを渡り歩き、一時は10以上グループに同時加入していた。

 

 なぜそれほど多くのアカペラグループを掛け持つことができたのか。ボイパの性質や当時の状況に着目すれば「技術の習得が一朝一夕でできないため他の奏者が少なかったから」「他のパートに比べて暗譜が比較的容易であるから」「物珍しさによって注目を集めたから」などと説明ができそうだ。

 もしかしたら、奥村個人が元から持っていたバイタリティとコミュニケーション力こそが最大の理由かもしれない。他方で、そうした天性の気質があったために、ボイパの取得はかれの必然だったのではないかとも思うのである。本論は、その仮説に説得力を持たせようとする取り組みでもある。

 

 とにもかくにも、奥村がボイパによって培ってきたサークル間のネットワークは、日本最大のアカペライベントの誕生へとつながっていくこととなる。

 

「JAM」の立ち上げと後進育成

 

 奥村は1998年11月に、関東の大学アカペラサークルでは初のイベント「WE ARE A CAPPELLA MAJORS」を開催する。東京大学で行われ、前述の早稲田大学や埼玉大学など複数のアカペラサークルが参加した(のちに結成されるアカペラグループRAG FAIR(ラグフェア)メンバーの数人も出演している)。

 そしてこの企画をベースとして、のちに日本を代表するアカペラの祭典として知られることとなるイベントを実行委員長として生み出した。1999年11月に東京お台場で開催された「Japan Acappella Movement」(=JAM(ジャム))である。

 「JAM」は2018年現在まで毎年行われている。審査を突破した限られたグループにのみ出場権が与えられ、全国のアカペラプレイヤーが「頂点」と位置付けて出演を目指している。かれの力だけで立ち上げられたものではないとは思うが、一方でかれの存在なしには生まれなかったのではないかというのが、筆者の理解である。

 またこれに前後してアカペラグループ「RAG FAIR」が誕生し、奥村はボイパとして参加した(※6)。関東の各サークルの実力者が集って結成されたこのグループは、埼玉県を中心にストリートライブを展開。徐々に人気を集め、活動の幅を広げていく。

 

 RAG FAIRのライブに影響を受けた若者は少なくなかった。ある大宮市の高校生らは、RAG FAIRの演奏に感動してアカペラ活動をスタートし、奥村のもとへ「ボイパを教えてくれ」と志願しにいく。これに対して奥村は「ボイパよりもまず歌をしっかりさせないと」とかれらにレッスンを施しながら、自らボイパとしてグループに参加した。こうして生まれたのが「レプリカ」であった。「RAG FAIRのレプリカ(複製品)」という意味合いでつくられたこのグループがテレビ制作局の目に留まったことで「ハモネプ」が生まれ、全国にアカペラブームが起きていく(=ハモネプの物語)。

 

 ハモネプでのレプリカおよび奥村の活躍は、かれ自身の献身的な後進育成なしには生まれ得ない物語であったように思う。筆者には、本サイト「模倣芸」からボイパへで触れたMr. No1se(ミスターノイズ)の「技術を惜しみなく披露する態度」に通じるようにも感じる。

 

「媒介的」な演奏表現

 

 ハモネプブームの熱狂とともにRAG FAIRはさらなる人気を集めていった。2002年6月に同時発売されたシングル「恋のマイレージ」と「Sheサイド ストーリー」はオリコン1・2位を独占し、その年の紅白歌合戦にも出演。お茶の間に広くボイパの存在が知られていくこととなる。

 

 ここで、奥村のボイパ技術の特色にも注目しておこう。

 かれはボイパの演奏方法を紹介する際、あくまで「ドラムセットの模倣」であるということを前提とした説明を展開している。例えば「ハモネプスタートブック」(※7)や「ハモネプMASTER BOOK」(※8)、RAG FAIRのDVD作品「RAG☆V」(※9)といった媒体では、バスドラムやスネアドラム、ハイハットの模倣音を「基本の音」とし、「これらの組み合わせによりリズムが刻める」といった解説をしている。

 一方で、奥村による実際の演奏を聴くと、バスドラムともハイハットともスネアドラムとも判別できない音色による独特の演奏が散見されるのである。たとえば前述の「恋のマイレージ」では、歯に空気を当てながら声を発し、その音程だけを上下させ続けるような音色が、曲全体を通して続く。これはドラムセットの模倣というよりも「ボイパである」としか言いようのない打楽器表現だ(※10)あるいは初の管楽器とのコラボ曲である「七転び八起き」では、楽器群のなかでボイパを際立たせる目的であろうか、かなり意図的に「声らしい音色」を混ぜてリズムを奏でているように見える(※11)

 もちろん上記の表現はあくまで一部の曲でつかわれたものであり、多くの曲ではやはりドラムセットをベースとした表現で占められている。しかし「ドラムセットの模倣」という出発点からいち早く脱し、ボイパだからこそできる表現を模索してきたことは間違いない。本論の趣旨でいれば、打楽器と人の声を「媒介」してきた先駆者としてあり続けたとも、感じられるのだ。

 

被災地をつないだ「ふまじめ」

 

 奥村はアーティスト活動の傍ら、気象予報士資格を生かした仕事やフォトグラファーとしての仕事など、様々なジャンルへと裾野を伸ばしていくこととなる。

 そんな中で発生したのが、東日本大震災であった。

 奥村は高校時代、出身の大阪府で阪神淡路大震災を経験し、その半年後に修学旅行先の北海道で北海道東方沖地震に遭遇している。新潟県中越沖地震の際にはボランティアで現地に入っていたことからもわかる通り、兼ねてより震災に対する関心が大きかった。震災発生直前の2011年3月6日にRAG FAIRとして岩手県でライブをしていたことも影響し、東北への思いを募らせた奥村は、震災発生から1カ月後の4月にヒッチハイクで陸前高田市へ向かった。さらにその後、石巻市街を経由して、牡鹿半島に入っている。

 なぜ牡鹿半島なのか。2017年3月6日のニッポン放送「レオなるど」内で、奥村は「行きにくいところで支援を待っている人がいたから」と話している。石巻市市街からはがれきを縫うように徐行運転でしか行けない地域であり、「だからこそ支援が必要」という思いに駆られたそうだ。

 

 面白いエピソードがある。同番組内で奥村は、「オイスターバーでよく見られるブランド名=地域名がすべて表記された方向板を見かけ、不思議な縁を感じた」という旨の発言をしている。この地での支援には、奥村の根っからの「牡蠣好き」が、少なからず影響していたのだ。「これは支援せねば(と思った)」「飲んで食ってネットワーク」などと冗談めかして話すのだが、このスタンスこそが、かれの本質に迫る部分なのではないか。

 

 ここから先の文章は、誤解が生まれないよう丁寧に書くべきだし、誤解のないよう読まれてほしいと思っている。上手に書く文章力がなく、少しまどろっこしい表現もあるが、ご容赦いただきたい。

 

 本論の冒頭部分で筆者は「ふまじめ」という考え方について説明した。奥村はまさにこの「ふまじめ」の実践をしているではないかと感じるのである。もちろん、かれが震災後すぐに防災士の資格を取得したことや、その後もずっと継続して復興支援に取り組んできたことからもわかるとおり、あくまでも「まじめ」に取り組んできたことは、断言しておかなければならない。

 もう少し説明を加えよう。震災と「ふまじめ」の関係については、ライターの小松理虔が書いた「新復帰論」(※12)という本に詳しい。小松は震災後、福島県で食や芸術などをテーマに人と人とをつないできたアクティビストでもある。震災復興はもちろん、地域づくりを考えるひとにぜひ読んでほしい名著だ。小松が東洋経済オンラインに寄稿した文章に、同書のポイントがコンパクトに抑えられているので、本論ではそちらを引用する(※13) 。

 

 一見すると関わりのないように見える人たち、課題の外側にいるような人たちとも協働していかなければいけないと思う。(筆者中略)課題の大きさだけでも大変なのに、中の人たちがまじめに徹してしまったら、外から関わろうとする人たちは萎縮してしまうし、気軽に語ることもできない。既存の概念を打ち破るようなアイデアも生まれにくいだろう。

 課題が大きいからこそ、そこに関わる人たちは「おいしい・たのしい・おもしろい」といったポジティブな動機を作り出し、自らそれらを楽しもうとする「ふまじめさ」を持たねばならないと思う。そのふまじめさが結果的に人々を動員し、大義名分を外し、大上段に語られるのではない、地に足のついた復興を(地域づくり)もたらしてくれると思うからだ。

 東洋経済オンライン「震災復興に必要なのは、『ふまじめ』な思想だ」

 

 牡鹿半島では震災前まで、浜(地域の単位を指す「村」などにあたる表現)どうしの連携がほとんどなかった。そこに奥村が「よそ者」として入っていき浜を横断することで、風通しが良くなったという。例えば、ある浜で発生した問題を聞きつけた奥村が、その解決を得意とする別の浜の知人を紹介する……といった具合だ。また、現地住民に対して、フェイスブックなどSNSのアカウントづくりを手伝ったという。民宿の若旦那が東京とつながるきっかけをつくるなど、まさに「媒介者」としての役割を演じた。

 音楽アーティストとしての経験も随所に生きてくる。「お祭りをしたい」という地域の人々に対し、音響のセッティングからカラオケ大会のプロデュース、舞台進行までを行った。そのほか、被災地での芸術祭の開催を目指していた音楽プロデューサーの小林武に対し、牡鹿半島の魅力を紹介。この地を中心会場とし、数々の有名アーティストが出演する「Reborn-Art Festival」(※14)の開催につながっていくこととなる。

 「媒介者」としての振る舞いによって培われたネットワークが大きなイベントへとつながっていく様子は、かれが学生時代、ボイパを武器にアカペラの世界で実践してきたことそのものではないか。

 

ジャンルを横断する「気楽さ」

 

 奥村は被災地支援と並行し、保育士資格取得を目指し始め、2011年に合格。その後、横浜市の保育園に勤め始める。保育園ではRAG FAIRでの経験を生かし、お遊戯会のショーアップなど工夫を凝らしてきた。また2015年から通っていた横浜国立大学大学院では、保育と気象予報を組み合わせた子ども向けのアプリを開発している(※15)

 奥村の媒介者的な生き方を端的に物語るインタビュー記事がある。語学系通信講座などを展開するアルク株式会社によるニュースサイト「GOTCHA!」内の「RAG FAIR奥村が語る、続ける秘訣」(※16)と題した記事には、音楽活動をはじめ気象予報、保育などバラバラな分野で活躍しているからこその効用について書かれている。

 下記は様々なジャンルの資格を取得している奥村に対し、それぞれの関連性について問うた質問への答えだ。

 

 全部リンクしていると思います。あるジャンルのスキルと、別のジャンルのスキル、1つのスキルを2つ持つと、自分ができる範囲って、単体スキル2つに、それらを重ねたスキルで、3つになるんですよね。(筆者中略)それぞれのジャンルの知識をそれぞれに還元したり、かけ合わせたりしてシナジーが生まれていくので、すごく関連していると思います。

 GOTCHA!「RAG FAIR奥村さんが語る、続ける秘訣」

 

 またこのインタビューで資格取得について「『ダラダラ続ける』のがコツ」と述べている。

 

 ある時期は音楽90とかあるんだけど、気象を決してゼロにしない。1とか2にしとく。そういうことをやってると、ぱんってひらめく瞬間があるんです。そこで結構、力が出たりとか、おもしろいなって思います。

GOTCHA!「RAG FAIR奥村さんが語る、続ける秘訣」 

 

 つまり、ここで述べられているのは、気楽な気持ちであらゆることに接することの大切さ。ある種の「ふまじめさ」である。ちなみに、奥村はかつて、ボイパの習得に関しても「気楽に」を強調した発言を過去にしている。

 

  最初はそんなに根詰めてやることはない気がします。もっと楽しんでもらった方が。毎日「ドゥン!」とか「プシュ!」とかやりすぎて下が腫れて大変ですって言われてもね(笑)それよりももっとたぶん原始的なことのような気もします。ハンドクラップでもいいし、自然とリズムやビートに乗れるふうに考えたいいんじゃないですかね。僕も最初は4ビートから始まったんで。出来る音色で出来るものから楽しいと思えるように。

「ハモネプMASTER BOOK」

 

 かれには一貫した「気楽さ(=ふまじめさ)」がある。日本に手本となるボイパプレイヤーが少なかった時代にボイパを習得できたのは、この気質によるものではないだろうか(誤解があってはならないので何度でもいうが、そこには「まじめ」な姿勢も同時に存在している)。

 そうして身につけたボイパという技術の、「いつでもどこでも演奏でき、人を驚かせる」といった性質が、人と人とをつなげる武器にもなった。気質と、そこから生まれた武器をいかんなく活用することによって、かれはジャンルを横断するバイタリティを生み出し、人々の間にコミュニケーションを作り出したのだ。

 

 次の章では、そんな奥村に影響を受けボイパをはじめたというHIKAKINについて論じていくことで、「ボイパプレイヤー=媒介者」という見立てにより説得力を持たせていきたいと思う。

※1…上越タウンジャーナル—ハモネプに出たHIKAKINは妙高市出身(https://www.joetsutj.com/articles/51734603)2018年10月9日閲覧。

※2…ハモネプでの活躍を書かない理由はもうひとつある。ハモネプでは出演者に対してテレビ制作局による「演出」がある程度施されているため、奥村のパーソナリティに関する正確な判断ができないと考えたからだ。ちなみに筆者はこの「演出」についてはとても肯定的に捉えている立場である。アカペラプレイヤーのキャラ化によってこそ現在につながるアカペラブームが起こり得たのではないかと考えており、その仮説については「ハモネプの物語」で詳述した。

※3…TAKE6/米国の6人組男性ボーカルグループ。1986年から2003年までの間に8度のグラミー賞を受賞

※4…演奏方法については、米国のアカペラグループRockapellaのアルバム「primer」から影響を受けたという(「ハモネプMASTERBOOK」ドレミ出版社)。同作品は1995年発売(日本未発売)。のちの日本でのアカペラライブでも定番となった「Falling Over You」や「Where In The World Is Carmen Sandiego?」「Zombie Jamboree」「Oh, Pretty Woman」などを収録した名盤中の名盤である。

※5…「ハモネプ」で奥村と共に活躍したボイパプレイヤーの「けんぞー」は下記のように語っている。

 僕、最初はおっくんみたいなやり方(有声音)だったんですよ。しかも、おっくんにやり方を聞いた人から「おっくんのやり方だよ」っていうふうに教えてもらって練習してたっていう(笑)

古屋恵子著「ハモネプMASTERBOOK―楽譜がいっぱ~い!!」(ドレミ楽譜出版社)より引用

 

 余談だが、筆者は、かつてハモネプで一番最初に紹介されたのがこの「有声音」であったからこその訴求力があったのではないかと考えている。「無声音」のボイパは「破裂音(ぱぴぷぺぽ等)の延長にあるもの」と直感的に捉えられる一方、「有声音」は一聴しただけでは鳴り方の原理が直感的にわかりづらい。つまり初めてボイパを聴く人に対しては、有声音のほうがインパクトが大きいのではないかと考えるのである。「ハモネプに学生服で登場してきたごく普通の若者が、口から信じられないような音を出している。しかしどうやら練習すればおれにもできるらしい」という絶妙な距離感が、人々をボイパに駆り立てたのではないだろうか。奥村を当時から知るあるイベント主催者によると、かれはある時期、有声音と無声音を使い分けていたという。生声では有声音、マイクでは無声音といった具合だ。有声音と無声音の特性やそれぞれ力を発揮するシチュエーションを明確に捉えていたと思われる。

※6…また余談だが結成の直前、RAF FAIRの面々は本サイト「模倣芸からボイパへ」で言及したMr.no1seらのアカペラグループ「Vocal 7th Beat」のライブ会場で遭遇し、会場の外で即興のセッションを繰り広げたことがのちに語られている。RAG FAIR著「RAG FAIR“RAG & PIECE”」(ソニーマガジンズ)より。

※7…ドレミ楽譜出版社、古屋恵子著、犬飼將博監修「ハモネプスタートブック トレーニングCD付 ハモってみよう!! 」

※8…ドレミ楽譜出版社、古屋恵子著「ハモネプMASTER BOOK―楽譜がいっぱ~い!!」

※9…トイズファクトリー ボーナス特典映像<おっくんヴォイパ講座>

※10…RAG FAIR「恋のマイレージ」

※11…RAF FAIR「七転び八起き」

※12…ゲンロン叢書

※13…東洋経済オンライン「震災復興に必要なのは、『ふまじめ』な思想だ」(https://toyokeizai.net/articles/-/239808)2018年10月9日閲覧。

※14…小林らが主催する「ap bank fes」の流れをくむ、石巻市街地と牡鹿半島を中心とする東北を舞台にした「アート」「音楽」「食」の総合祭。ウェブサイト(http://www.reborn-art-fes.jp/

※15…横浜国立大学筆保研究室HP(http://www.fudeyasu.ynu.ac.jp/)内、「おっくん園児向けアプリ! SOLAKIDS by ウェザーニューズ」(https://weathernews.jp/s/child/

※16…GOTCHA!「RAG FAIR奥村さんが語る、続ける秘訣」(https://gotcha.alc.co.jp/entry/20171222-chatdiary-okumura)2018年10月9日閲覧。




参考

・RAG FAIR著「RAG FAIR“RAG & PIECE”」(ソニーマガジンズ)

・古屋恵子著、犬飼將博監修「ハモネプスタートブック トレーニングCD付 ハモってみよう!! 」(ドレミ楽譜出版社)

・古屋恵子著「ハモネプMASTER BOOK―楽譜がいっぱ~い!!」(ドレミ楽譜出版社)

・小松理虔著「新復帰論」(ゲンロン叢書)

・東洋経済オンライン「震災復興に必要なのは、『ふまじめ』な思想だ」(https://toyokeizai.net/articles/-/239808

・上越タウンジャーナル—ハモネプに出たHIKAKINさんは妙高市出身(https://www.joetsutj.com/articles/51734603

・日経デュアル「天気予報で子どもの「生きる力」を身に付ける」(https://dual.nikkei.co.jp/article/111/10/

・GOTCHA!「RAG FAIR奥村さんが語る、続ける秘訣」(https://gotcha.alc.co.jp/entry/20171222-chatdiary-okumura

・2017年3月6日放送 ニッポン放送「レオなるど」