――さて、奥村さんの話の中でふたたび「媒介者」という言葉が出ました。奥村さんはこれまで、様々なジャンルをまさに「媒介」するような仕事をされてきたと思います。その経験は、保育の現場で生きたとのことですが。
奥村:保育士をしていた頃、通っている大学院に子どもたちをつれて行ったことがあります。
教授にお願いして、「専門家の虫取り」を見せてあげました。草むらに大きな布をかぶせ、小さい棒を子どもたちに持たせて、みんなで周りから叩いていきます。そうすると、ほんとうにいろんな種類の虫が、いっぱい捕まるんですね。
そのあと教室で15分だけ講義すると、3歳児が「ぼく大学院にいきたくなってきた」と言い出した。先生も「ひさしぶりに生徒がひとりも寝ずに聴いてくれた」と笑っていたり。ふだんの生活だとぜったいに会わないような人と人とを結び付けられた、と感じました。
虫かごや網を持って、セミやトンボや蝶々を捕まえるのも、もちろん良い体験です。しかしこのような特殊な体験は、保育士と大学院というふたつの経験をしていないと生み出せなかったと思います。
基本的に保育には、学校のように教科書がありません。これは何を意味するかというと、子どもたちの力を引き出せるかどうかは、先生のスキルに大きく依存するということです。子どもの「あれをやりたい」「これをやりたい」という意欲に応えるためには、先生がいろんな分野で経験を積むことが何より大切なのです。
そして経験をたくさん積むためには、待遇を良くし、日々の仕事や生活に余裕を持ってもらわないといけない。逆に言えば、待遇さえ良くなれば、がらっと日本の教育が変わるのではないかと思います。
――ここまで、いろんな分野で経験を積む重要性について語っていただきました。そもそもそのような考え方を持つようになったきっかけはあったのでしょうか。
奥村:原体験は中学受験のころだったかな。人と競い、人を蹴落として何かを達成するということに、ある種の「切なさ」を感じていました。競うことで達成感を得るのは向いていないなと感じたことがあった。子どものころ、自分自身が体が小さかったこともあると思います。弱いものが切り捨てられることそのものに抵抗感がありました。
受験戦争はなんとか乗り越えたものの、自分はどのような道を歩むべきか考えました。だれかと競うのは切ないから、だれもいないような道を進んでみたい。そんなころに出会ったのが「天気予報」でした。
高校1年生のときに新聞で読んだ気象予報士の記事をみて、「自分はこれかな」と直感した。そして勉強の末、ぶじに予報士に受かることができた。自分で目標をみつけ、達成することの快感を覚えました。そのあとは、「何かに夢中になって、のめり込んで」の繰り返しです。そうしているうちに、いろんなキャリアを積んでいくことになりました。
ぼくが2005年に書いたブログに、「ジェネラリスト、スペシャリスト」というエントリがあります。ここでぼくは、「自分が目指すものは『スペシャリスト』の『ジェネラリスト』」だと表現しました。スペシャリストには「専門家」という意味があります。そしてジェネラリストは「広範囲な知識を持つ人」という意味がある。つまり、このふたつを横断したい、という考え方です。
ぼくはボイパのプロです。一方で、「後生畏るべし」という言葉があるとおり、すごいテクニックを持った後進がたくさん現れている。他方で、ぼくは気象予報士の資格を持っていますが、気象予報士のなかにも、すばらしい知識を持つ人がたくさんいます。
この世界には、すばらしいボイパのプロも、すばらしい気象予報士もたくさんいる。しかし「ボイパのプロ+気象予報士」はどれくらいいるのかと言ったら、おそらくオンリーワンです。「+保育士」「+防災士」などとつなげていけば、世界にひとりしかないでしょう。ぼくが目指すのは、そのような姿です。
「ジャンルのバイリンガル」とか「ジャンルのトリリンガル」などと言ってもいいかもしれない。つまり「あるジャンルで起きたこういう現象が、違うジャンルだとこのように表現できるだろうな」といった変換ができる人でありたい。
生きる人と人とをつなぐためには、「共通言語」がなければならない。その共通言語をつくりだす役目を担う、ということでもあります。(参考:科学技術×子×ミュージシャンの可能性 : 気象予報士・防災士&保育士&歌手の最近の取り組み)
――ここまで、ボイパの経験によって媒介者的な性質をどのように培ってきたかについてお聞きしました。インタビューの最後に、改めて現在の心境をお聞かせください。
じつは立候補を迷っていたころ、とある政治に近い人と話す機会がありました。ぼくは「いろいろやりたい。保育はもちろん、防災の資格や気象の資格もあるし、ボイパは言語を超える表現だから、国際的に役立つと思う」などと話した。すると返ってきた言葉は「きみは早口だし、しゃべりすぎ」。要するにダメ出しです。一方で「きみは初対面の人の懐にもぐいぐい入ってくる感覚はある。それは政治家としてすごく大切な要素かもしれない」と言ってもらえた。
そしてこれこそ、いまの政治に足りないことじゃないかと思っています。SNSはかつて「活発に意見が交換されて集合知が形成され、人類はいい方向に進んでいく」とその可能性が期待されていた。しかし残念ながらじっさいには分断のツールになっています。
分断がどんどんひどくなっていくとき、なにより必要なのは、じっさいに会って、懐に入り、人と人とをつなぐことではないか。そして繰り返しますが、ぼくはボイパを武器にしながら、アカペラの世界でそれを実践してきた。自分ならできるという自信と確信があります。
夏のチャレンジまで短い期間ですが、全国のどれくらいの人と会えるかが勝負です。一人でも多くの人とお会いしていきたいと思います。