佐藤:北村さんといえば、ボイスパーカッションの実力もさることながら、堪能な英語と韓国語を生かし、海外との交流を積極的に行っていらっしゃる点でも有名です。そのあたりのお話もぜひお聞きしたいです。
北村:昔から海外に興味があり、特にハングルには幼少期から強く惹かれていました。
溝の口に住んでいた頃によく行った焼肉ソウルというお店では、メニューがハングル文字で書かれていて関心を寄せていました。通っていた小学校の近くには朝鮮初級学校があり、チマチョゴリを着た子どもたちと交流したのも根底にあります。
大学時代に、SCSに所属していた韓国の留学生から、インゴンウィソン(人工偉声)という現地のアカペラグループのことを教わったのも大きな契機だったかもしれません。韓国でミリオンセラーを記録しているグループで、音源を聴いてみたら本当に素晴らしかった。「この人たちの言語が知りたい」という思いを強めました。
大学では韓国語を学びました。当時は韓流ブームの前でしたので、書店にも韓国語のテキストはほとんどありませんでしたが、新たな言語を学ぶのは楽しかったですね。
北村:韓国語を学べば学ぶほど、交友関係も広がっていくのを実感しました。
トライトーンの大阪コンサートの帰りの出来事です。次の日がオフだったので、観光のために一人で現地に停泊していました。朝食を食べるため、宿泊したホテルの食堂に行ったところ、広いフロアにいるのはぼくと女性のふたりだけ。黙って食べるのもなんとなく気まずかったので、話しかけてみると「I`m from Korea」(韓国から来ました)と言うのです。
そこで、韓国語で「あなたの国の言葉を勉強中です」と話しました。彼女はとても喜んでくれて、すぐに意気投合し、帰国後も文通を交わす仲となりました。その女性が、ぼくのその後のアカペラ人生を大きく動かしてくれたのです。
ぼくが「インゴンウィソンが好き」という話を手紙で伝えるやいなや、彼女はコンサートに行き、ポスターとグッズとシャツにそれぞれサインを書いてもらって日本へ送ってきてくれました。そこに同封されていた手紙に驚きました。なんと、インゴンウィソンのメンバーがトライトーンを知っており、お友達になりたいと言っている…という内容だったのです。
感激したぼくは韓国に行くことを決意し、翌月には初めてソウルに降り立ちました。大阪で出会った女性との再会はうれしかったですし、そこで後に何度もホームステイをさせていただく友人とも知り合えました。
その後も韓国へは激しく往復しつつ、韓国での交友関係も広げていきました。インゴンウィソンとの対面も叶い、のちにトライトーンとのジョイントコンサートを、ソウルと大阪で開催することになります。
語学の勉強も一層、身が入りました。早稲田の語学研究所での授業はすべて韓国語なので厳しかったですが、ホームステイ先のお父さんがある時に言ってくれた「これからは韓国と日本はともに歩む時代だ。一緒に手を携えて進む未来がある」というメッセージを胸に抱いて、ひたすらに学びました。
――「これからは韓国と日本はともに歩む時代だ。一緒に手を携えて進む未来がある」。まさにこの言葉を体現するように、北村さんはアカペラを通した国際交流に力を入れて活躍されています。
北村:韓国では、コンサートをはじめ、ワークショップの講師として呼ばれることも増えていきました。韓国のアカペラ業界は、台湾や香港、シンガポールとのつながりも強かったので、それらの地域にも招かれるようになっていきます。特に台湾合唱センターのレイ(朱元雷)先生はトライトーンにとても興味をもってくれて、日本にも来ていただきました。
そんな中、2011年にVocal Asia(ボーカル・アジア、※1)という国際組織が誕生しました。レイ先生の同級生のClare Chen(クレア・チェン)さんが投資してできた団体で、ぼくは当時すでにソロとしてトライトーンを脱退しており、日本代表を拝命することになりました。
ボーカル・アジアではアジアでの交流を深められたのはもちろん、世界トップレベルのアカペラグループとも交流を深められました。2011年のボーカル・アジア・フェスティバルではThe Real Group(リアルグループ、※2)が公演し、12年はドイツのSLIXS(スリックス、※3)、13年はフィンランドのRajaton(ラヤトン、※4)、そして14年はオーストラリアのThe Idea of North(アイデア・オブ・ノース、※5)がゲストにやってきます。いずれも、世界中を魅了する素晴らしいアカペラグループです。
北村の鮮やかなソロ演奏が聴けるThe Idea of North「Rainbow Connection」
――そのときのアイデア・オブ・ノースとの出会いが、のちの加入へとつながるんですよね。
北村:そうなんです。ボーカル・アジア・フェスティバルでは毎回ぼくが講師となりボイスパーカッションの講義をやっているのですが、アイデア・オブ・ノースが訪れた年、メンバーがなんと、その講義を見に来てくれたのです。当時のぼくは彼らのファンの一人にすぎなかったので、かなり緊張したのを覚えています。
講義が終わると、「面白かった」という感想とともに「ぼくたちのコンサートに出て、一緒に1曲演奏してくれないか」という誘いをいただきました。もちろん、快諾です。
そのステージの後、CDの収録に参加しないかと誘われました。それが終わるとシドニーのコンサートに、その次はアデレード、さらにブリスベン、メルボルン…。そのうち、一緒にヨーロッパツアーに回ることになりました。
そのツアーの最中での出来事です。ドイツのライプツィヒにある鉄道の駅前の喫茶店で、「正式メンバーにならないか」と誘われました。こんなチャンスは二度と無いだろうと思い、やりますと答えました。
現在は新型コロナの影響で海外での活動が難しい状態が続いていますが、これからもアイデア・オブ・ノースとしての活動はもちろん、アカペラを通した国際交流にも力を入れていきたいです。
北村:話がエアトレインからアカペラの国際交流へと大きく広がりましたね。でもやっぱり、ぼくの原点のひとつは、鉄道の音まねです。人生の大きなチャンスをもらったという気持ちがあります。
そこで今回、鉄道やエアトレインへの恩返しの気持ちを込めて、ある企画を考えました。ぼくが長く乗ってきた東急電鉄の8500系が2022年度で運用が停止することを機に、佐藤さんと一緒にエアトレインでトリビュートしたいのです。
この車両は、ぼくが小さい頃から乗っていたので、ほかの鉄道の車両の引退とは思い入れが違います。映像を残すことで、関係する方に喜んでもらえるとうれしいです。
佐藤:今日はすばらしいお話、ありがとうございました。エアトレインの話は共感できるところが多く、うれしく思いますし、ボイスパーカッションを始めたきっかけやその後の国際交流の流れは、アカペラのファンとして興味深く、また勉強になりました。
8500系のエアトレイン、がんばりますのでよろしくお願いします。
筆者より
以下の動画は、お二人によるエアトレインのコラボです。いずれも人間業とは思えない素晴らしいパフォーマンスなので、ぜひお聴きください。世代が違うふたりは、同じ鉄道を表現していますが、乗ってきた時期が違うため、異なる時代の音やアナウンスが混ざり合っている部分があります。それを楽しみながら聴くのがポイントです。
ナレーションはなんと、NHKラジオ第1「鉄旅・音旅 出発進行!」MCの野月貴弘さん(@superbellz)に吹き込んでいただきました。ありがとうございます。
※1…Vocal Asia(ボーカル・アジア)/台湾に拠点を置く国際組織。アカペラを通したアジア地域間の交流を目的とする。2011年から毎年夏には「Voice of Asia, Sing to The World(アジアのハーモニー、世界へ響かせよう)」をテーマに、ミュージックキャンプ「ボーカル・アジア。フェスティバル」を開催。加盟国・地域からの参加者が集い、ワークショップやコンサートが行われる。
※2…The Real Group(リアル・グループ)/1984年に結成したスウェーデンのジャズ・アカペラグループ。87年に1stアルバム「Debut」でCDデビュー。2000年にアルバム「コモンリー・ユニーク」がスウェーデン・グラミー賞のオープンカテゴリー部門で最優秀部門賞を受賞。2013年、来日公演を記念しリリースした「The live in JAPAN」には北村嘉一郎のボイスパーカッションも聴くことができる。
※3…SLIXS(スリックス)/ドイツのアカペラグループ。1990年代後半に「Stouxingers」として結成。当初は楽器を含めた形式だったが、2003年にアカペラに移行、2012年2月から現在の名称で活動している。ジャズ、ポップミュージック、ソウル、リズム&ブルースなど様々な音楽を取り入れた多彩な表現が特徴。
※4…Rajaton(ラヤトン)/1997年に結成したフィンランドのアカペラグループ。ジャズ、教会音楽、ポップスなど縦横無尽なレパートリーで世界的に人気を集めている。2005 年に愛知万博(愛知)で来日、2013 年には初の日本ツアーを行っている。
※5…The Idea of North(アイデア・オブ・ノース)/1993年にオーストラリアで結成されたアカペラグループ。1997年にデビューアルバム「TheIdeaofNorth」をリリース。 2010年「Feels Like Spring」、2013年「Smile」がARIAミュージックアワード(オーストラリアレコード産業協会音楽賞)の ベストジャズアルバムに選ばれる。2018年、ボイスパーカッションとして北村嘉一郎が加入した。