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ボイパ奏者はなぜ身勝手な演奏をしてしまうのか

 アカペラ奏者のあなたは、ボイスパーカッション(ボイパ)担当のメンバーにこのような感情を抱いたことはないだろうか。

  • うるさくてコーラス邪魔してね?
  • 一人だけテンポ速すぎじゃね?
  • なんか身振り手振りが激しすぎじゃね?

 その気づきはたいてい正しい。ボイパは、アカペラグループの調和(アンサンブル)を乱しがちな存在なのだ。ではなぜボイパは身勝手な演奏をしてしまうのか。それを解き明かし、グループ全員で楽しく演奏するヒントを見つけるのが本稿の目的である。

「独学」の罠

 本稿では演奏テクニックの話はしない。音がやかましい、リズムの捉え方がまずい、テンポが走る・もたるといった技術不足は、訓練すれば改善が可能で、その練習方法はグーグルで検索すれば無数に出てくるからだ。筆者が問題提起したいのは、技術が未熟なのにもかかわらず本人がそれを自覚していない状態である。

 そもそも人間は、他人との比較や他人からの指摘によってしか、おのれの未熟さを認識することができない生き物である。世の中に塾やスクールや徒弟制度が存在するのはそれゆえだ(これらは「技術や知識を教えてもらう場所」とイメージされがちだが、実は「指摘してもらえる機能」にこそ本質がある)。

 今のところボイパに関する塾やスクールや徒弟制度はごくわずかしか存在せず、技術習得は独学に陥りがちだ。そこに罠がある。他人から指摘される機会が少ないため自己客観視と反省ができず、あまつさえ、指摘されると腹を立て耳をふさぐことすらある。「頑張って独学で身につけたのに、否定された!」と。これが、ボイパ奏者が身勝手な演奏をしてしまいがちな理由の第一である。

ハモネプの功罪

 ボイパ奏者が身勝手な演奏をしてしまう第二の理由は、ボイパが普及した背景にある。

 ボイパが広く認知されるようになったきっかけは、約20年前に誕生したハモネプだ。当時のハモネプでは、ボイパ奏者を「主人公」に据えた物語が展開された(=参考記事)。その結果、「リードボーカルよりボイパのほうが有名人」という、他の音楽形態ではおよそ考えられないようなことが起きていた。

 そのような番組に影響されてボイパをはじめた若者が「自分が主役」だと錯覚するのは仕方のないことだ。舞台の上でつい、過剰な自己主張をしてしまい、アカペラの調和を乱してしまうのである。

ビートボックスの影響も?

 近年は、ヒューマンビートボックスの影響でボイパをするようになったという若者は少なくない。ヒカキン、Daichi、SARUKANI、SHOW-GO、Rofuにあこがれて技術を身につけ、披露する場をアカペラサークルに求め、ボイパを担当するのである。

 ここで、ビートボックスとボイパの違いを簡単に説明しておこう。最大の違いは、発祥の経緯である。ビートボックスのルーツはヒップホップにあり、その根底をなす価値観は自己表現だ。だから、ビートボックスは基本的にソロで演奏され個性的なワザが見られる。一方、ボイパはアカペラの1パートとして発展してきた技術で、アンサンブル(調和)を価値基準としている。

 自己表現とアンサンブル。この二つの価値観は、対立しているとは言わないまでも、よほど器用でないと両立は難しい。自己表現の価値観を持ったままアカペラの世界に飛び込むと、思わぬハレーションを起こしてしまうのだ(「身勝手な演奏」が生まれてしまう)。

 ちなみに、ここ数年は、ビートボックスの自己表現とアカペラのアンサンブルをたくみに調和させている若い奏者が次々と登場し、活躍の幅を広げている。先に挙げたSARUKANIや、ハモネプで活躍したエイトローが代表格だろう。

素直さが才能を伸ばす

 ここまで、ボイパが身勝手な演奏をしてしまう原因について分析してきた。では、どのようにすればボイパは他パートと調和することができるのかについても考えていきたい。

 といっても、行き着く答えはいたってシンプルだ。ボイパ奏者は、上手くなりたければ素直さを身につけよう。謙虚さと言ってもいいかもしれない。他人からの指摘を素直に、謙虚に受け入れるのである。

 これさえ守ることができればボイパ奏者諸氏はどこまでも成長していける。なぜなら、あなたには独学でボイパを習得する才能と情熱があるからだ。素直さや謙虚さは、その才能をさらに伸ばすきっかけにすぎない。グループの仲間に「気になるところはないか」と尋ね、その意見を全面的に受け入れて練習をしよう。あっという間に上達するはずだ。

周囲はどのように接するか

 ボイパ奏者に素直さや謙虚さは必須だが、周囲(グループメンバー)がそれを強要するのは難しいだろう。とはいえ、素直で謙虚になってくれる日が来るのを待つのは非生産的だ。そこで以下では、意固地なボイパ奏者への対処方法を紹介する。

 まずは、ボイパ奏者に対して「一緒に曲の雰囲気を研究しよう」と呼びかけてみてはどうだろう。ボイパの演奏が「身勝手」に聞こえてしまうのは大抵、奏者本人が曲の雰囲気を理解していないのが原因だからだ。

 例えば、ボイパ奏者も含めたメンバー全員で一緒に主旋律を歌ってみるとよいかもしれない。歌いながら、この曲はどのようなノリで、どこで盛り上げてどこで抑えるのかを共有するのだ。そうした中で、ボイパ奏者も主張すべきポイントと抑制すべきポイントをを心得ていく。

指摘はできるだけ具体的に

 要点を絞った指摘も重要だ。「ボイパうるさいからもうちょっと抑えて!」などと大雑把な指摘をしたら気分を害するのは当たり前で、「ここはハイハットをもう少し抑えたほうがいいね」といった形でなるべく具体的に改善点を示すとよい。そして可能であれば、「君ならこの曲のニュアンスをいい塩梅で表現できるはずだ・・・期待してるぜ!」と励ましの言葉を付け加えてあげるのがよろしい。めんどくさいかもしれないが、団体表現ではこうした気配りは大切なのである。

 「ボイパがよくわからないので具体的な指摘ができない」という人は、いっそのこと、ボイパ担当のメンバーに教えを請うてみるとよいだろう。知識習得になるばかりか、ボイパ奏者本人も他人に教えることで学ぶことは多く、互いにメリットがある。時には「ボイパが身勝手な演奏をしないためにはどうしたらいいんですか」といった質問をぶっ込んでもいいかもしれない。(嫌味に聞こえないよう上手くやってください)

「身勝手の極意」

 「身勝手」というとエゴイスティックなニュアンスがあるが、最近、少し異なる意味合いでこの言葉が使われているケースを発見した。漫画・アニメ作品『ドラゴンボール』で孫悟空が修業の末に開眼した「身勝手の極意」という技である。「【身】体が【勝手】に動く境地」を意味し、頭で考えることなく自律的に体が攻撃や防御といったアクションをする状態を指す。

 ボイパ奏者が目指すべきは、まさにこれだろう。あれこれ思案することなく口や喉の動くままにリズムを刻み、グループ全員と調和しながらメンバーの魅力を引き立たせるのがボイパ演奏の理想だ。そして、その領域に到達するには、飽くなき鍛錬と、至らなさを指摘してくれる仲間や師匠の存在が重要であることも作品中で描かれている(ドラゴンボールでは、悟空がおのれの未熟さを反省する様子がたびたび描写されている)。

 「身勝手の極意」は作中、「神の領域」とも表現される。ボイパ奏者諸氏。指摘を素直に受け入れれば、われわれは神にだってなれるのだ。

 さあ、今すぐ素直になろう。素直になって、神の領域に足を踏み入れようではありませんか!!