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「ボイパ」は今も不快か

 2021年現在、「ボイパ」という名称に不快感を覚える人はどれほどいるだろう。

 10年ほど前までは、一定数が嫌悪を示していた。その理由とはおおむね、「ボイパ」が持つ軽々しさへの忌避だ。簡単にいえば「おれは高い音楽性を追求して演奏しているのだから、一発芸みたいに言ってくれるな」という感情である。

 よく知られている通り、ボイパはボイスパーカッションの略語だ。略語そのものが嫌いな人も多いだろう。ちなみに筆者は略語に寛容のつもりだったが「ASAPでお返事をください」(※As Soon As Possible=できるだけ早く)というメールが届いたときはさすがにキレた。

 

 ボイパという呼称はテレビ番組をきっかけとして広まった。画面越しに登場する「ボイパ」の奏者のほとんどが学生で、技術よりもアイドル性によって注目されていた(より正確には、アイドル性を際立たせる演出が積極的になされた)。その反発として、技術を追求して練習に励む奏者のなかで「ボイパ」が軽々しく響き、使用を避けたい気持ちが醸成されていった、というのが筆者の見立てである。

 

 かつて賛否がわかれたボイパは現在、かなり反発が薄れている。驚くのは、ヒューマンビートボクサーの何人かがハッシュタグ「#ボイパ」をつけてSNSで発信していることだ。

 ここで、ボイスパーカッションとヒューマンビートボックスの違いがわからないという人のために、簡単に整理しておこう。両者の最大の違いは、文脈(成立の背景)である。

 

 ボイスパーカッションはアカペラの文脈で培われた技術で、ドラムセットの模倣が中心だ。リズムキープはもちろん、他の声楽パートでは表現し得ない高音域・低音域を補い、演奏にメリハリをもたらす役目も担っている。アンサンブルを重視し「スクラッチ」「喉ベース」といった派手な個人技はあまりみられないのが特徴だ。

 

 ヒューマンビートボックスはヒップホップの文脈で培われた、自己表現を重視する技術である。観客の前で技を競い合う「バトル文化」が最大の特徴で、観客は出演者の得意技を熟知し、それが繰り出されると会場は大いに沸く。出演者は会場を盛り上げようと技の開発に余念がない。ここ数年間の飛躍的な技術向上は、バトル文化を下地に、YouTubeなどの動画メディアの普及が相まって生まれたものと推測される。

 

 20年前は両者にはっきりとした境界があった。敵対していたとってもいいかもしれない。10年前もそれは存在していた。現在はどうか。過去にないほど接近し、良好な関係といっていいだろう。

 その状況を象徴する存在が、先日活動終了を発表したNew Schoolerである。アカペラの持つアンサンブル性を生かしながら個人技の魅力を打ち出している。8Law(エイトロー)というグループもまた、アカペラならではの美しいハーモニーを重視しながら、ビートボックスの文脈で培われた技術を巧みに落とし込み、表現の幅を広げている。

 

 こうなってくると、演奏者や熱心なファン以外にとってボイスパーカッションとヒューマンビートボックスのちがいは、いよいよわからなくなる。そんなときに便利な言葉が、ボイパだ。

 

 前述したテレビ番組は、過去一貫してボイスパーカッションとヒューマンビートボックスの線引きを行わず、口腔による声楽以外の音楽表現を「ボイパ」と称し続けてきた。その強引な整理は、両者の溝があった頃は批判もあっただろう。しかし、今となっては「ボイパ」こそが、両者の特徴や魅力を含有する言葉として、この上なく適当かつ親しみ深いように思える。同番組が果たした功績は大きい。

 

 このサイト名は「ボイパを論考する」である。すなわち、ボイスパーカッションとヒューマンビートボックスが限りなくインタラクティブな現在の状況こそを論じたいがために命名した。引き続き、ボイパという名称を愛用していきたいと思う。