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「ボイパと芸人」の系譜

 古来「笑い」という現象に対して数多の哲学者が考察をしてきた。古代の哲学者アリストテレスは「笑いは人間の特性である」と述べ、中世の哲学者ル・ゴフは「笑いには歴史的な変動局面がある」と説き、近代の哲学者ホッブズは「笑いとは間違いなく感情に起因する特殊な表情のひとつなのである」と語った。

 以上のかんたんな引用だけでも、「笑い」はいつの時代においても人々の興味をひきつけてやまない現象であり、人間特有の複雑な現象であり、また文化に大きく影響される現象であるということが、わかってくる。

 

 「人々の興味をひきつけてやまない現象」「人間特有の複雑な現象」「文化に大きく影響される現象」――。当サイト読者であれば、これらの条件を一読すれば、もうひとつのキーワードに思いが至ることであろう。そう、ボイパである。

 

 このエントリでは、笑いとボイパがいかに近い存在であるかということを、実例を一つひとつ挙げていくことによって示していく。とはいえ、基本的には論理性やエビデンスはなく、「与太話」と思って読みすすめてほしい。ただし与太話だからといって、それをないがしろにしてはいけない。いつの時代も、一見ばかげたような話の中から、新たな文化が萌芽してきたものなのだ。ボイパプレイヤー諸君はぜひこのエントリを一読いただき、来年のM-1にでも挑戦してほしいと思う。そして、コロナ禍でまだまだ先の見通せないこの年末において、この記事が、ひと時の笑いと、ボイパの可能性を知るきっかけが提供できれば幸いだ。

 

 なおこの文章は、12月1日から25日まで毎日アカペラに関する記事が公開される企画「アカペラアドベントカレンダー2020」の7日目の記事として更新される。

 

 ※当サイトでは、楽器音や環境音を直接的に(オノマトペなどの言語音を介さず)表現する音を「直接的模倣音」とし、そのうち音楽性を獲得したものを「ボイパ」と定義する。また「ボイパ」は、アカペラにおけるボイスパーカッションと、ヒップホップの文脈を引き継ぐヒューマンビートボックスを内包する概念として位置づける。

受け継がれる江戸家のわざ

初代江戸家猫八

 当サイト「模倣芸からボイパへ」で私は、「ボイパが音楽性を獲得するずっと前から、直接的模倣音をエンターテイメントにする文化があった」と述べた。そしてその例として初代江戸家猫八(1868-1932)を挙げている。

 初代江戸家猫八は元々女形を演じる歌舞伎役者だったが、30歳の頃に鉛毒により半身不随にとなり廃業。その後三遊亭小圓朝門下の落語家となったが、これもまもなく廃業し、明治の末から富岡八幡宮の縁日で飴を売りながら、鈴虫やコオロギの鳴き声をまねて小銭を稼いでいた。そこで人気を博し、三代目柳家小さんの目に止まりることとなる。寄席にあげると「大ウケ」し、以後痛快な毒舌と相まって人気を博していった 。

 初代猫八の技術の一端は、下の動画で聴くことができる。直接的模倣はボイパが誕生する一世紀も前から人々を驚かせ、楽しませてきたことがわかる。

三代目江戸家猫八

 その技術は、息子である三代目江戸家猫八(1921 - 2001)に受け継がれた。三代目猫八の活躍はテレビの普及期と重なり、電波を介して直接的模倣の魅力を全国に発信した偉大な人物である。この動画を見てほしい。

 巧みな話芸はもちろん、鈴虫やコオロギ、そしてウグイスなどの直接的模倣が披露される瞬間を、今か今かと待ちわびる聴衆の期待が手にとるように伝わってくる。のちに文化庁芸術祭大衆芸能部門優秀賞、浅草芸能大賞、紫綬褒章などを受賞した。三代目猫八は直接的模倣ひいてはボイパを考えるうえできわめて重要な存在であり、今後、改めて文章にする機会があることだろうと思う。

四代目江戸家猫八

 三代目猫八の息子、初代江戸家小猫(のち四代目江戸家猫八、1949- 2016)もまた直接的模倣芸を受け継いだ人物だ。十八番は小指を口にくわえて鳴き声をまねる「ウグイス」。野鳥の鳴きまね研究に力を入れ、日本はもとより東南アジアなどの野鳥の生息地に赴いていた。レパートリーはじつに数百種類という。襲名から6年、66歳という若さで惜しまれつつこの世を去った。

二代目江戸家小猫

 三代目猫八の長男である二代目江戸家小猫は、江戸家伝統の芸はもちろん、テナガザル、アルパカ、ヌーなど、鳴き声をほとんど知られていない動物のネタも研究し披露しその技術の幅を広げている。

 伝統を受け継ぐ姿勢については、下記のインタビューを引用したい。コロナ禍において披露の場がなくなったことにたいする言葉である。

 

 芸に関しては生の音をお届けすることにこだわりたい。  

 指笛で鳴らすウグイスの鳴きまねは江戸家の大事な伝統芸です。音色が劣化してしまうので、毎日欠かさず稽古をしています。(中略)「父から託された江戸家猫八という名前を継がないといけない」という気持ちが強いです。決意を持ちながら師匠方と相談していきたいと思っています。

江戸家小猫 寄席で鳴けず…自宅で描いたLINEスタンプ「芸とは違う形で元気を届けたい」2020年5月21日 スポーツ報知

https://hochi.news/articles/20200521-OHT1T50000.html

江戸家まねき猫

 三代目猫八の娘、江戸家まねき猫は江戸家唯一の女性として、音域の高さを生かした模倣芸を披露している。とりわけ「猫のさかりの声」は爆笑必至だ。

ものまね番組と強烈なインパクト

 こうした伝統的な笑いに対して、模倣芸にキャラクターを組み合わせた強烈なインパクトで聴衆をひきつけ、爆笑をさらう素人の芸人が「ものまね番組」の文脈から生まれていく。インパクトが要求されたのは、全盛期といえる80年代のテレビにおいて「勝ち上がる」ためであり(ものまね番組の多くはコンテスト形式だった)、また江戸家のわざのような「伝統的な文脈」とは異なるところに価値をつくるための、歴史的必然なのかもしれない。

ケント・フリック

 ケント・フリックは直接的模倣をコント仕掛けで披露した。子どもを中心に圧倒的な支持を得ていることがわかる。五木ひろしのボーリング、必殺仕事人のサウンドエフェクト、ゴジラに登場する怪獣の鳴き声など、直接的模倣をシチュエーションの工夫によって笑いへと昇華する芸を生み出した。

佐藤文則

 佐藤文則は直接的模倣と下ネタを組み合わせたおそらく唯一の芸人であろう。ビンに小便をするウルトラマンやロボコップという今のご時世では放送が困難であろうネタを披露。ウルトラマンの男性器がビンの口から抜けなくなるといういかにも滑稽な姿は幼少期の私の脳裏にくっきりと焼き付いて離れない。思えばこれが私にとって人生初のボイパ体験かもしれない。

Mr.No1se(石黒ツトム)

 そして欠かせないのが石黒ツトム、別名Mr.No1seである。野菜炒め・花火・赤ちゃんの泣声・乗物・電化製品・楽器・日用品・自然界など100以上のレパートリーを駆使し、83年にテレビ東京「全日本そっくり大賞」で優勝、91年にフジテレビ「発表!日本ものまね大賞」で優勝するなど活躍した。そしてその後アカペラコーラスグループ「柳屋クインテット」に参加。直接的模倣芸に音楽という新たな要素を付け加え、その後の「Vocal 7th Beat」での活躍も含め後進のボイパプレイヤーにあまりにも大きな影響を与えていくこととなる。下記の動画ではボイパが披露されている。

 さてなぜこのように、模倣芸は笑いを誘うのか。笑いについて体系立てて分析する織田正吉による名著「笑いとユーモア」(1986、ちくま文庫)によれば、いくつかある分類のひとつに「類似点の発見」があるという。つまり人間は似ているはずのないものに、思いがけず共通点を見つけとき、笑いを起こしてしまうのだ。

 

 動物園のサルがタバコを吸ったり、あるいはナイフとフォークを持って食事をしているのを見ると、私たちはそこにおかしさを感じます。『そっくりショー』というようなスターや歌手によく似た別人が登場するテレビ番組、物まね、声帯模写などは、本来、似ているはずのないものがよく似ているからおかしいのです。

織田正吉「笑いとユーモア」より引用

ボイパの逆輸入

 Mr.no1seらの活躍によって音楽性を獲得した直接芸模倣芸はのちに広く「ボイパ」と呼ばれ、アカペラの文脈で独自の文化を醸成していくこととなる。その歴史については、当サイトで語ってきた通りだ。そして現在、そのボイパが笑いの世界に「逆輸入」されるような現象が起きている。さまざまな芸人が、音楽的な直接的模倣を駆使した、新たな笑いを生み出しているのだ。

新作のハーモニカ

 新作のハーモニカはビートボックス漫才で人気を得る、ワタナベエンターテインメント所属のコンビである。ウィキペディアには「現代型の音曲漫才」とあるが、まさに言い得て妙であろう。「飲み会コールにセンスを感じない」という話題から始まり、ボイパに乗せたラップでボケを展開していくのだが、ビートのリズムブレイクや変拍子を活用することで緩急を生み、笑いを誘っている。

 ふたたび織田正吉の「笑いとユーモア」にあたれば、これは笑いの要素のなかの「思考や行動の突然の方向転換」にあたる笑いだ。

 

 人間の頭のはたらき、体のはたらきには、物理の法則で言う<慣性>とおなじ動きをし、一定の方向ですすみつづけようとします。その思考や行動が、突然、裏切られたり、方向を変えさせられるときに笑いが起こります。このなかには、(a)期待はずれ、(b)逆転、(c)弱者に負ける強者、(d)意外性、(e)巧智、(f)リズムの変化などが含まれます。

織田正吉「笑いとユーモア」より引用。強調部分筆者

きくりん

 中井貴一のものまねで有名な芸人である。本物の中井貴一がビートボックスを披露したらかっこいいことが予想されるが、「中井貴一のものまね」がビートボックスをするとえも言われぬ面白さが生まれる。これは後述する「まじめとふまじめの同居」という観点と密接に関わってくる。

蘭丸団

 上記は「お笑い芸人がビートボックスを取り入れた」というパターンだが、こちらは「ビートボクサーがお笑いを取り入れた」というパターンである。ビートボクサーの秋とYOUBOXによる「蘭丸団」は、言葉の中に潜む破裂音からビートボックスへとシームレスにつなげる技術を披露。さすが本職というべき音色である。

 このほかにも、「ボイパ」を特技としたり、芸として披露するお笑い芸人は多い。ぜひチェックしてほしい。

 

・マイチェルシー

・エハラマサヒロ

・トット桑原

・三戸キャップ

・トブ電波。オニー

・ばかんす 佐伯マナブ

・田浪哲也

・グッド良平。

・アイデンティティ 見浦 

・パーマ大佐

・とろサーモン村田秀亮

・アイクぬわら

・狩野英孝

・いっこく堂

・オッパショ石

まじめとふまじめ

 さてここまで、「日本に受け継がれてきた直接的模倣芸」「物真似ブームによる強烈なインパクトの模倣」そして「ボイパを駆使したお笑い」という流れで歴史を振り返ってきた。今後さらなる分析を加え、強い説得力を帯びた結論へとつながる文章に挑戦したいと思う。ここでは結論を書かないかわりに、ひとつの主張を発信したい。

 

 すなわち、「ボイパは『まじめ』と『ふまじめ』が同居した表現である」という事だ。

 

 ボイパによるパフォーマンスはかっこいい。それは数々のボイパプレイヤーの姿を見れば一目瞭然である。

 しかし模倣表現である以上、そこには「おかしみ」が内包される。それは織田正吉「笑いとユーモア」が整理するとおり、「類似点の発見」が笑いの要素のひとつであるということから説明ができ、また数々の芸人たちが証明してきたことでもある。

 かっこよくて、おかしみがある。これは「まじめであり、ふまじめでもある状態」とも言いかえることができる。そして、まじめとふまじめが同居している状態こそが、これからの時代なによりもたいせつな価値観だと考えるのだ。

 

 現代は人類の歴史上、もっとも分断が進む時代だと言われている。この先もしばらくその傾向は変わらないだろう。昨日まで仲間だった人たちと、たったひとつのイデオロギーが対立しただけでに仕組み合ってしてしまう可能性に、私たちはつねに晒されているのだ。そんなときに必要なのが、まじめとふまじめを常にスイッチし続ける柔軟さだ。この考えについては、当サイトで論考しているのでぜひ一読いただきたい。

 

 ボイパから得られるものを、音楽的な快感だけにとどめるのは、あまりにももったいない。当サイトではさまざまな論考を通し、読者と一緒に、この時代の分断を乗り越える精神性を、ボイパから掴み取っていきたいと思っている。(そしてこの記事もまた、「まじめ」と「ふまじめ」を同居させようとする試みの実践である)