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ヤシさんにインタビューしました

 我が家にはチン☆パラのミニ・アルバム「La-Punch」が2枚ある。その理由は中学生の頃に買った1枚がうまく読み込めなくなったからである。文字通り「擦り切れるまで聴いた」のだ。愛してやまないそのグループのボイスパーカッショニスト、ハヤシヨシノリさんへのインタビューが、ついに実現した。

 これはチン☆パラが第1回ハモネプリーグ全国大会で披露した有名な動画である。

 

 当時筆者は中学2年生だった。中2といえばご存知の通り、自意識を周囲へ無制限に拡散し、あこがれの人物を自己同一化し、オルタナティブな表現こそが世界のすべてだと信じ込む時期である。私はまさにハモネプ世界を自己のものとして取り込み、ハモネプの登場人物をおのれだと思い込み、小室/つんくシーンへのオルタナティブとしてハモネプを認識していた。

 

 そしてその認識を決定づけたのがチン☆パラの存在であり、この「LOVE PHANTOM」であった。

 

 だからこそ今回のインタビューはたいへん気合が入った。その結果5時間におよぶ長尺となった。取材場所はヤシさんの自宅である。酒を飲みながらのインタビューは白熱した。ビールから日本酒、そしてレモンサワーへと移るに伴って私の饒舌には拍車がかかり、インタビュー中はもちろん、帰る際に玄関で靴を履きながらも、駅で見送られる間際まで喋りまくってしまった。

 

 ヤシさんにはたいへんご迷惑をおかけしてしまいました。ごめんなさい。 

 

「楽器をつかわない」という制約

 

 さて、本インタビューにおけるキーワードは、「制約」「ストーリー」である。

 

 ハモネプには、「楽器をつかわない」というとても大きな制約があった。制約はルールと言い換えても良い。ルールがあるからこそ、プレイヤーはしのぎを削る。視聴者はその姿にこそ、感動するのだ。

 またルールがあるからこそ、プレイヤーはそれを逆手に取る「飛び道具」を生み出す。ダンスをしたり、演歌をうたったり、ラップをしたりして、付加価値をつくる。そして最大の「飛び道具」こそが、ボイパであった。ドラム音やスクラッチ、ベース、ハーモニカ、トランペット……こうしたボイパの進化が、ハモネプをより面白くしていった。

 

 制約のなかでしのぎを削り、飛び道具をくりだすプレイヤーには、キャラクターが付与される。キャラクターがテレビのなかで縦横無尽に動く姿に(ときにテレビを飛び出し、ストリートで歌う姿に)、視聴者は「ストーリー」を感じていたのだ。

 

 ヤシさんは楽器をつかわないという制約をみずからに課しつづけた。その意志は「変わらないものをやりたい」という言葉からも滲み出ている。制約を守り続けてきたからこそ、チン☆パラやスメルマン、そしてヤシさん自身には人を感動させる「ストーリー」がある。今回のインタビューによって、そのストーリーの一端を描けたのは、ほんとうに光栄だ。

 

SNS時代に「ストーリー」を描く難しさ

 

 ハモネプから約20年が経つ。もはやあのようなストーリーを描くのは難しいのではないかというのが、ヤシさんと私の共通見解だった。難しい理由とは、すなわちSNSの存在である。

 

 かつてハモネプでは、ボイパを、「関東流/関西流」というかたちで強引に整理した。これはストーリーづくりに無くてはならない重要な仕掛けだった、というのが当サイトの考えだ。しかしSNS時代において、このような強引な整理はきわめて困難になっている。Twitterで「異論」が噴出し、翌週に訂正されるのがオチであるからだ。というよりも、そういう事態にならないよう、制作側が配慮する時代になってしまった。

 

 またSNS時代では、良質なコンテンツが無制限に提供されるため、そのなかで「楽器をつかわない」という制約のもと存在感を放つのはきわめて難しい。これはもしかしたら、あらゆるエンターテインメントが細分化するこの世界において、あるいは「適合している」と言えるのかもしれない。いずれにしても、かつてのハモネプのように、音楽を題材として視聴率20%ちかくの番組を生み出すことはほとんど不可能だろう。ハモネプは、あの時代の、あのタイミングだからこそ作り得た作品なのだ。

 

 あらゆるエンターテインメントがタイムライン上を「流れていく」アーキテクチャも、ストーリーをつくる難しさに拍車をかけていると思われる。クオリティをみれば、現在のアカペラは、20年前よりも明らかに平均値が高い。きっと皆、そうとうな努力をしているはずだが、その努力がアーカイブ化されにくい時代なのだ。

 

 

 さて、上記のような議論を行ったあと、ヤシさんから光栄至極な言葉をいただいた。

 

 「かずまくんの発信しているサイトや、おれのいろんな発信がうまくリンクして、価値を生み出し、それらを見た人が新たなメディアを作って、価値が肉付けされていくといいよね。みんな幸せなんじゃないかなと思う」

 

 SNSのスピード感に惑わされることなく、起こっていることを淡々とアーカイブし、似た志をもつ方々と連携しながら、価値を「肉付け」していくこと。あらためて、じっくり、ゆっくりなペースを死守しながら、「一生をかけてサイトを更新していこう」という思いになることができた。

 

 ヤシさん、すばらしい機会をくださり、ありがとうございました。