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KAZZさんにインタビューしました

 国内におけるボイスパーカッションの第一人者、KAZZさんにインタビューを行った。ここではこのインタビューがいかに価値があるものなのかについて、みずから解説したいと思う(興奮気味に)。

 

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 なぜこのインタビューはすごいのか。それは「ボイパの存在意義」という大きな命題にたいする、ひとつの「答え」が示されているからだ。

 

 「ボイパは声である。声であることこそが、最大の強みである」――KAZZさんはそう断言した。一見するとシンプルだが、かれの経歴を辿ることによって、きわめて強い説得力を帯びてくる。経歴とはすなわち、日本でいち早くボイスパーカッションを始めた経験であり、被災地の仮設ステージに立ち続けた経験であり、楽器との容赦ない比較にさらされた経験であり、海外へと挑戦した経験である。

 このような経歴をもつ人はほかに存在せず、だからこそ上記の言葉は訴求力があり、このインタビューには価値があるといえる。

 

 

「ボイパでなければならない理由」

 

 

 「ドラムや打ち込みでなく、ボイパでなければならない理由はなにか」。プレイヤーであればだれもが一度は直面する疑問であろう。そもそも当ウェブサイトの出発点は、まさにその疑問あった。

 ここからいわゆる「自分語り」がはじまるわけだが、KAZZさんへのインタビューを当サイトで実施できたことについての価値を考える上で重要なので、数行だけお付き合いいただきたい。

 

 私は3年ほど前から「DeeToes.」というアカペラグループに所属している。イベントのために一年に一度集ういわゆる「企画バンド」だ(現在は活動休止中)。全員音感にすぐれ、歌唱力があり、リズム感も、アレンジ能力も抜群というメンバーが揃っている。たまたま縁があり加入したのだが、私はそこで強烈な劣等感に苛まれることになった。「この完璧なひとたちにとっては、おれのボイパよりも、打ち込みや打楽器のほうがよいのでないか」と。

 

 この深いジレンマが「ボイパを論考する」というウェブサイトの立ち上げにつながった。運営開始から1年半で見えてきた答えのひとつが、「人と人とをつなげる武器になる」ということだった。このサイトでは「媒介者」という言葉を使い、奥村まさよしさんHIKAKINさんをその実践者として紹介している。

 

 今回のKAZZさんへのインタビューでは、これらとはまったく異なる視点での答えを得ることができた。「ボイパは声であるからこそ被災者に届いた」「声であるからこそドラムにないグルーヴが存在する」――その言葉は力強く、私に大きな勇気を与えてくれた。このインタビューを読むボイパプレイヤーにも、たくさんの示唆を与えてくれることだと信じている。

 

 

ボイパ・アカペラの歴史の1ページに

 

 

 このインタビューは、国内におけるボイパの歴史はもちろん、アカペラの歴史を振り返るうえでも極めて重要なものとなった。Phew Phew L!veはご存知のとおり、HEROさん(SugarS)やKWANIさん(ダイナマイトしゃかりきサ~カス)、JOさん(SOLZICK)など、その後プロアカペラグループを生み出す重要人物が所属していた伝説的グループだ。ワンピースでいえば、ビッグマム・カイドウ・白ひげを擁した「ロックス海賊団」みたいなイメージである(こんな比喩をつかうと一気にアホっぽくなるが)。

 そのグループの立ち上げ前夜が語られ、さらに関西はもちろん国内アカペラにおいて中心的な立ち位置であり続けたBaby BooやPermanent Fishが生み出された背景についても聞くことができた。

 

 そしてなにより「ボイスパーカッション」という名称の誕生の瞬間について描かれた、おそらくはじめての文章なのではないかと考える。私は「数十年後に評価されるようなサイトを作りたい」といろんな所でうそぶいているのだが、さいきんは、ほら話ではなくなってきているのじゃないかとか思ったりしている。むろんすごいのは私ではなく、このような個人サイトに快くインタビュー協力をしていただいたKAZZさんの懐の大きさだ。

 

 

暗黙知の伝承について

 

 

 私にとって大きな関心事のひとつが「ボイパという暗黙知をどう伝えるか」という問題だ。「暗黙知」とはかんたんにいうと「言葉でつたえられない技術」のことである。たとえば自転車の乗り方がそうだ。説明書を読んだところで、自転車を乗りこなすことはできない。

 私の大学時代の師である雨宮正彦静岡大学名誉教授は、「伝統工芸の『わざ』の伝承―師弟相伝の新たな可能性」という著書のなかで、暗黙知の伝承において重要なのは「師弟」のような関係性だと指摘している。「師匠の技術だけでなく人格までも尊敬し、信頼するような関係性によって、言語化不可能な伝統技術(=暗黙知)が弟子へと伝承されていった」という(要約)。

 KAZZさんは「ボイパ道場」において具体的な技術指導ではなく「考え方」を伝えていた。ここでは師匠と弟子と呼び合う文化がある。まさに「師弟関係」であり、ボイパという暗黙知伝承の理想的なかたちではないかと思わせる。この件についてはいずれ長文で論じてみたい。

 

 

「防災と音楽」の先進的実践者

 

 

 そして私がこのインタビューで最も価値があると考えるのは、Bloom Worksの活動を記録できたことである。音楽ライブと防災講演を組み合わせた「花蝶風月」や「BGMスクエア」は、着実に参加者の防災意識の向上につながっている先進的取り組みだ。

 昨年(2018年)は6月に大阪北部地震、7月に西日本豪雨、9月に北海道地震が起きた。今年9月の台風15号、10月の台風19号による甚大な被害も記憶に新しい。南海トラフ地震は30年以内にほとんど確実とも言える確率で発生すると予測され、気候変動により今後風水害のリスクはさらに増していく。

 そのような状況において、Bloom Worksの取り組みはたいへん尊く、一人でも多くの人に紹介したいものであった。KAZZさんの経験や想いを含めたかたちで文章にできてよかったと思う。もしBloom Worksの活動を知らない読者がいたとすれば、今後の活躍をぜひチェックしてほしいと思う。

 

 

 

 さてここまで、このインタビューの価値について語ってきた。最後に少しだけインタビューの顛末について記録しておこう。

 この取材は、神戸への日帰りである。まさに弾丸旅行といったかんじだ。KAZZさんへのインタビューが実現すると確定した時点で、交通費やスケジュールの不安など頭から吹き飛んでいた。ヲタクとはそういう人種なのである。インタビューは3時間ほどにも及んだ。丁寧に返答してくれるKAZZさんの人柄には感動しきりである。かれ自身も大学院に通っていることをふまえ「記録に残す価値は大きい」と私の活動に共感していただいた。幸せだ。

 

 文章にはしなかったが、インタビューではKAZZさんとMr.no1seさんとの共通点についても語られた。かれらは奇しくもほとんど同じ時期(1994年頃)にボイパをはじめており、両者とも「模倣芸」を出発点としている(Mr.no1seさんは言うまでもなく模倣芸パフォーマーとして出発しており、KAZZさんはマイケル・ウインスローをひとつの目標にしていた)。この不思議な符合を発見できたこともまた、良かったと思う。

 

 

 まだまだ書きたいことがあるが、ほんとうにきりがないのでこれくらいにしておこう。最後にひとつ。KAZZさんのボイパは、ほんとうにかっこいい。年齢差別的な表現なので好きじゃないが、47歳にしてあの演奏はほんとうに憧れる。あんなボイパができる大人になりたい。読者の方もそう思うはずだ。みなさん、関西に行く機会があればぜひライブへ行きましょう。