1.ボイスパーカッションの黎明

KAZZインタビュー

イベントをまえにリハーサルにのぞむKAZZ
イベントをまえにリハーサルにのぞむKAZZ

――ボイスパーカッションの道を切り開いてきたKAZZさんに、まず、どうしてもお聞きしたいことがあります。ずばり「ボイパの存在意義」です。打楽器や打ち込みでなく、ボイパだからこそできることとは何なのかという問いは、当サイトの出発点でもあります。

 KAZZさんは阪神淡路大震災後の経験を経て「ボイパは世界を変えられる」という実感を得たとのことですが、その経緯について詳しくお聞かせいただけますか。

 

KAZZ:ボイスパーカッションはいくら打楽器に似せようとしても、突き詰めれば「声」です。しかし声であることこそが、最大の強みであると思っています。それを身をもって知ったのが、阪神淡路大震災後の経験でした。

 あの震災によって、見慣れたまちは瓦礫と化し、自宅はなくなりました。また翌日に控えていたPhew Phew L!veでのプロ初ワンマンライブもなくなってしまった。例えようもない悲惨さと無力感がありました。

 しかしぼくたちは、それでも歌っていこうと、「元気食堂」という屋台村のなかに舞台を設けました。「まちがすこしでも元気になれば」という一心で連日ライブを行った。歌い続けるうちに、見てくれる人たちが笑顔になって行くのが手に取るようにしてわかりました。「笑ってくれんねんや。歌ってすげーな」と感動したのを覚えています。

 

 あのときの演奏が、アカペラでなく楽器だったら、少し状況は違っていたかもしれません。震災のときは「自重ムード」があるので、いわゆる大きな音は喜ばれません。そんななか声だけで演奏したことによって、比較的すんなり聴いてもらえました。

 ボイパもそうです。ドラムのような打楽器じゃなかったからこそ、受け入れてもらえたと考えています。ボイパとドラムは、耳あたりがものすごく違いますよね。ボイパは周波数帯域をみるといわゆる「中域」に集まっている。つまり「声」に近く、耳に優しいのです。

 

 ぼくはいま大学院でこの因果関係について研究しています。テーマは「防災と音楽」。とくにボイパがなぜ被災地で受け入れられたのかについて、さらに考えを深めています。

 とにかくアカペラやボイパは被災地において重宝されました。そして復興とともに、その存在が広く知られていきました。この経験からぼくは「ボイスパーカッションならではの力」を肌で感じ、プロでやっていくことを決意しました。

 

チキンガーリックステーキとの出会い

 

――震災という極限の状況のなか、見出したのが「人の声の力」であり、「ボイパの力」だったんですね。その経験を生かしKAZZさんは活躍の幅を広げていくわけですが、その前に、すこし時代を遡りたいと思います。そもそもボイスパーカッションを生み出したのは、どのようなきっかけがあったのでしょう。

 

KAZZ:昔から、声を使って何かをするということに、強い興味を持っていました。高校生の頃には声楽の勉強をしており、バリトンパートを担当していた。一方でポップロックのボーカルを担当し、プレスリーやチャック・ベリーなどのオールディーズを、学校祭などで演奏していました。声楽とロックという両極端な歌を歌っていたから、「声は様々な表現ができる」という感覚を身につけられたと思います。

 

 そんなときに出会ったのがチキンガーリックステーキ(※5)でした。ちなみにメンバーの前澤弘明さんはもともと、親友が通っている高校の教師でした。その親友に連れられてライブを見に行った。いちど見た瞬間に「これや!」と思いました。「人の声」を活かすことができるアカペラにすぐに魅了され、自分もこの道を進んでみたいと考えました。

 それからチキンさんの付き人を1年くらい続けて、チキンガーリックステーキJr.を結成。その後、Phew Phew L!veとして活動をはじめました。「チキンガーリックステーキの弟分」という立ち位置ではありますが、「同じことをしていては個性が出せない」という気持ちがあった。そんななかで生まれたのがボイスパーカッションでした。

 

 先にも言いましたが、ぼくはロックをやっていた。その経験から、ドラムのリズムパターンを頭のなかで考える習慣があったのだと思います。それを口だけでやろうと思ったのは、「ポリスアカデミー」という映画がきっかけでした。マイケル・ウインスローという役者が、ドラム音や銃声、ハーモニカの音、ゲーム音などを声帯模写していた。「あの感じで、できひんかな」と思い、挑戦し始めたのです。イメージを形にしていく作業は、とても自由で楽しいものでした。

 そして試行錯誤の末、ボイパを取り入れた「Oh, Pretty Woman」をPhew Phew L!veのライブで演奏しました。すると爆発的にウケた。会場の沸き方が、それまでとは違うのです。「これがうちのグループの売りだ」と確信しました。「リズムがあって、踊れるアカペラグループ」の誕生でした。

 

 当時プロで活躍するアカペラグループはトライトーンさんくらいでした。落ち着いた雰囲気のかれらに比べて、自分たちは若くてチャラチャラしとったわけ(笑)。しかし独自のポジションを獲得できたと思います。ライブのたびに、お客さんも「倍々ゲーム」のように増えていきました。

 

 ぼく自身も、ライブの中でボイパの精度を上げていきました。年間200本のライブの中で試行錯誤することで「こうやったら会場にウケる」という感覚を少しずつ掴んでいった。「低域を強調したら反応がいい」とか「声の成分を入れたほうが響きが良い」とかね。

 なにはともあれ当時は「おれらブレイクするな」という確信のなかで活動していました。そんななかで起きたのが震災だった、というわけです。

 

――ちなみに本質とは離れる質問で恐縮ですが…「ボイスパーカッション」という言葉はどのタイミングでうまれたのでしょう?

 

KAZZ:1994年ごろ、Phew Phew L!veのプロデューサーさんがぼくの演奏を見て「それはボイスパーカッションっていうねん」と言ってきたのがきっかけだったように記憶しています。海外ではヴォーカルパーカッションっていうらしいけど、その当時は全然知らなくて(笑)。もしかしたらプロデューサーさんが「ヴォーカル」を「ボイス」と勘違いして教えてくれたのかもしれない。途中で和製英語であることに気がついたけれど、「そのままでええか」という感じで使い続けてきました。

 

 

――いま世間の多くの人がボイスパーカッションとかボイパを使っていますが、勘違いから生まれたのだとしたらなんだか面白いですね(笑)。

※5…日本初のアカペラグループとして、1990年に神戸で結成。2002年に東芝EMIからメジャーデビュー。神戸を拠点に国内外で活躍している。チキンガーリックステーキオフィシャルウェブサイト:https://cgs.jp/