1.先輩から引き継いだもの

ハヤシヨシノリ インタビュー

――このところTwitterを中心として、ボイパ演奏や、ノウハウを積極的に披露していますね。チン☆パラやスメルマンのファンはもちろん、若い世代に対しても、刺激になっていると思います。このような活動をされているのは、どのような意図がありますか。

 

ハヤシヨシノリ(以下「ハヤシ」):きっかけのひとつが、アカペラのPAで活躍をしている、元「レプリカ」の大志(※1、野口大志/のぐち・たいし)の言葉です。「有声音ボイパはオペレーションしやすくて、PAとしてはありがたいんだけど最近、奏者が少なくて寂しい」という言葉を聞いていました。

 インターネットがこれだけ発達しているのに、有声音のボイパをする人は増えていない。「おれもある程度、歳を重ねてきたから、先輩から引き継いだものを後輩に伝えていきたい。探究心のある若い人に有声音のボイパに触れてもらいたい」という気持ちになってきたんです。

 

 「こういうボイパの方法もあるよ」というのを紹介し、映像として残していければと思っています。技術は伝えられないと無くなっていくもので、せっかく積み上げてきた方法論が廃れてしまうのはもったいないなと考えました。特に、ボイパのような技術は、言葉として残すのは難しく「伝統工芸」のような側面があると思っています。「自分は唯一無二でありたい」という気持ちと同じくらい、継承していきたいという思いも大きくなってきたのです。

 

――いま「先輩から引き継いだもの」という言葉が出てきました。ヤシさんは埼玉大学アカペラサークルCHOCOLETZ(チョコレッツ)でボイパを習得したと伺っています。ボイパやアカペラとの出会いについて、改めて教えてください。

 

ハヤシ:高校の頃はバンドを組んでギターを弾いていたこともあり、埼玉大学でもロックバンドをやりたいと思っていました。大宮ソニックシティで行われた音楽系のサークル紹介に行ったところ、ロックバンドのなかに突如、アカペラサークルが登場したんです。

 そのときボイパを演奏していたのが、RAG FAIR(※2)の(荒井)健一さんでした。「これは一体、なんなんだ!」と衝撃を受けちゃって。

 高校の頃に「ソングライトSHOW!!」というテレビ東京系の番組を見ていたところ、たまたまVocal 7th Beat(※3)が登場して、Mr.No1seさん(※4)がボイパを演奏していたのを見て驚いたことがありました。それもあって、実物を見てさらに魅了されました。

 

 大学のボイスパーカッショニストの先輩としてはMaLさん(※5)が活躍しており、当初はMaLさんに頼み込んでボイパを教えてもらいました。また「男の達人」(メンタツ、※6)という男声グループのテツさんも先輩でした。当時は男だけで組まれたいわゆる「ヤロバン」が全盛で、テツさんの姿がとにかくカッコよく、憧れていたんですね。MaLさんとテツさんという、ふたりの尖ったボイスパーカッショニストがそばにいたのは幸せでした。「おれも自分の強みを開拓したい」という思いを強く持つことができた大きな要因です。

 

 身近にボイパ奏者がいるものの、当時は現在のように、映像を視聴しながら技術を学ぶことはできません。ですから、大学の先輩にどこから仕入れてきたのかわからないような海外のボイパ音源を聴かせてもらったりして、試行錯誤しながら練習していました。

 何がボイパの正解かはわかりませんでしたが、「こういう音を出してみたい」という目標はありました。小学校の頃から憧れ続けたロックバンド「X」YOSHIKIさんによるドラムです。

 Xは「激しいのにメロディも素晴らしい」と母に勧められて知ったバンドです。奇抜な見た目もかっこよく、中学の頃にはお年玉でエレキギターを買って、Xの曲を練習していました。高校では受験合格のご褒美として、フェンダーのストラトキャスターを買ってもらった。コピーバンドもするなかで、いつしか「音楽で食べていきたい」という思いを持つようになりました。しかし、いくら練習しても、ギターは上手くなりきれません。それでも頭の中には、ずっとXの音楽が流れていました。

 そんななかで出会ったのがボイパです。ボイパという表現とYOSHIKIさんのドラムがつながり、「YOSHIKIさんをボイパで表現したら絶対におもしろい」と考えたのです。

 

――YOSHIKIさんのような激しいドラム演奏をボイパで表現できると着想したのがすごいですね。いまならば、「激しいボイパでやってみたい」と思い立ったら、ヤシさんや「背徳の薔薇」(※7)のtakuya有限さんがモデルにいます。モデルがないまま開拓していくのは大変なエネルギーが必要だと思います。

 

ハヤシ:当時は「ボイパは開拓するものだ」と思っていました。この精神こそ、先輩たちにいただいた最も大切な宝物です。「次にこんな曲をやりたい」という思いが前提にあり、そこから「どういう風にボイパで表現するか」と考える。マニュアルもモデルもないから、自分で考えるしかなかったんですね。

 先輩の方法を真似したり、おれの方法を先輩が真似したりと、切磋琢磨がありました。各々のスタイルの中で、互いのよいものを交換していた。大学ではMaLさん、テツさんが二大巨頭として君臨していましたが、そのほかにもやたらタムだけうまい先輩とかいたりした。飲み会で「ヤシ、これできるか。『トゥントゥン』」なんて言われたり(笑)

 現在はYouTubeを見ればハウツー動画が溢れています。それは素晴らしいことです。しかし自分としては、先輩と一緒に居酒屋でボイパを教えあったときの光景が今も頭に浮かび、そうした師弟関係もいいなと思います。

 

――ボイパの習得と並行して力を注いだのが、チン☆パラでの活動だと思います。どのような結成の経緯がありましたか。

 

ハヤシ:チン☆パラは大学1年生の頃に結成しました(結成当初の名称は「箸」)。自分たちの代のサークル員は男子が少なく「よく練習に顔を出していた男たちでとりあえず組んだ」という感じでした。

 最初は「夜空ノムコウ」などの曲を練習していましたが、しっくりこない。ダークな感じで、疾走感もあるアカペラをやりたくなっていきました。例えば、Boyz Nite Out(※8)や、Five O'Clock Shadow(※9)などのコピーなどです。

 実はアカペラを始めた頃は「アカペラだせーな」と思っていた節があった。合唱出身者が多く、歌はものすごく上手だったけれど、もうちょっと「華」があってもいいんじゃないかと。今から思うと、ただの意気がったガキの発想なのですが(笑)。

 

――そんなチン☆パラが、ハモネプに初登場しDA PUMPの「if...」を演奏したときは、多くの視聴者がアカペラのイメージを覆されたと思います。「ハモネプ初のラップをするスキンヘッドのコータ」という姿が、強い印象を残しました。

 

ハヤシ:「if...」は歌をメインとしつつラップがフックとなる構成の曲ですが、まさにコータがフックとなってくれました。スキンヘッドのコータがラップをしている姿がウケたのも、たぶんいろんな偶然が重なってできたものです。

 そしてそのコータが全国大会でB'z「LOVE PHANTOM」をボーカルとして歌い上げたことで、ひとつの強い「ストーリー」が生まれたと思います。

 いま見返してみると、「LOVE PHANTOM」の演奏は、自分でもかっこいいなと思います。あの演奏をいまやろうと思っても、きっとできない。なぜかというと、音楽的な知識が身についてしまったからです。

 ベースを担当する(ナカシマ)ダイゴは、チン☆パラ、スメルマンを通して活動をともにしてきました。かれはもとから身体の中にリズム感やグルーヴがあったけれど、おれはどんどんリズムが走っていくタイプだった。リズム隊にすらズレがあるのに、ほかのメンバーも、それぞれのリズムのなかで歌っていた。でもみんな必死だった。互いの熱量がぶつかるなかで、「独特のグルーヴ」みたいなものが生まれたんじゃないかと解釈しています。

 

 たとえば、メンバーそれぞれが描いているグルーヴのかたちが「楕円」だったとします。当時のチン☆パラは明らかに、バラバラな楕円を描いていた。楕円どうしが交わるところと交わらないところがあり、独特の「引っ掛かり」がたくさん生まれていた。だからよかったんだと思います。

 みんな同じ楕円だと、綺麗だけれど、「引っ掛かり」がない。いまとなっては、ダイゴとの付き合いがあまりにも長いので、いつセッションしても、バチバチにハマってしまいます。それはそれでもちろん良いのですが、あのころ作っていた独特のグルーヴは、絶対に生み出せないなと思います。

 

 いまでも「LOVE PHANTOM」は印象的な一曲ですが、じつは、テレビ制作会社からは演奏を反対されていたんです。

 予選では「if...」を演奏し、それがウケて全国大会出場することになった。制作会社の方から「全国大会では何を演奏するの」と聞かれ、「LOVE PHANTOMとミス・ア・シングです」と伝えると、「DA PUMPの違う曲をやってよ」と言われた。

 おそらく、制作局側の思い描くストーリーがあり、魅力を引き出そうとしてくれたんだと思います。でも当時おれたちは強がって「嫌ですよ。こっちのほうがかっこいいし」とゴネたのです。結果的に「LOVE PHANTOM」で決勝進出できましたが、制作会社としては、意図してなかったことだと思います。

 

 ハモネプは、ほんとうに緻密に作られた番組です。主人公であるところの「レプリカ」がいて、ライバルの「ぽち」がいて、ダークホース的な立ち位置の「チン☆パラ」がいた。こういうストーリーのなかでは、チン☆パラが優勝する余地はなかったな、と感じています。いまから思えば、の話ですが。

※1…アカペラグループ「レプリカ」のメンバー。パートはベース(レプリカは現在解散)。記念すべきハモネプ第1回放送時に登場し、その魅力を伝えた。現在PAエンジニアとしての活動のほか、作曲家としても活躍の幅を広げている。野口へのインタビューは「ハモニポン」(https://hamonipon.jp/colum/interview/taishi1)で展開されている。

※2…RAG FAIR・・・男声ヴォーカル・グループ。2002年6月に2ndシングル「恋のマイレージ」3rdシングル「Sheサイドストーリー」を同時リリースし、オリコン週間シングルチャート初登場1位2位を独占。同年末に紅白歌合戦出場。なおCHOCOLETZはRAG FAIRの加藤慶之らが設立した。

※3…新潟県を拠点に96年に結成したアカペラグループ。2002年に解散。当サイト「模倣芸」からボイパへで紹介

※4…日本におけるボイスパーカッションの先駆者のひとり。詳細は当サイト「模倣芸」からボイパへを参照。

※5…ボイスパーカッショニスト/Breathパフォーマー。ボーカルエンタテインメント集団「ChuChuChuFamily」にて活動後ソロへ転身。ジャズ、ポップス、クラシック、民族音楽、和楽器等多ジャンルとの共演や、マイク二本のみのアカペラプロジェクト「Piece of Cake」など多方面で活躍中。MaL official website(http://www.malbreath.com)

 

※6…第2回全国ハモネプリーグに出演。MENTATSUウェブサイト(http://mentatsu.g2.xrea.com/

※7…ヴィジュアル系アカペラグループ。2015年、2019年にハモネプ出演。背徳の薔薇Official Web Site(http://haitokunobara.jp/

※8…米国の5人組アカペラグループ。チン☆パラは「Sound Check」「Blackjack」などの曲をカバーしている。

※9…ヴォーカルパーカッションの第一人者・Wes Carroll (ウェス・キャロル)、Jeff Thacher(ジェフ・タチャー)などを排出した伝説的グループ。チン☆パラでは「Get Down Tonight」をカバー。