3.「身一つ」で世界へ

KAZZインタビュー

神戸市役所からの景色。「世界との窓口」として栄えたこの港町を拠点に、Permanent Fishは海外の舞台へと羽ばたいていった
神戸市役所からの景色。「世界との窓口」として栄えたこの港町を拠点に、Permanent Fishは海外の舞台へと羽ばたいていった

――ボイパについての議論をさらに深掘りしていきたいと思います。KAZZさんはパイオニアとしてボイスパーカッションの世界を切り開いてきたひとりですが、現在のようにボイスパーカッションが浸透している世の中をどのようにご覧になっていますか。

 

KAZZ:単純に「こうなればいいな」と思っていた好ましくて理想の世の中になっていると思います。ほんとうにわーっと広がっていった。

 

 アカペラも含めてボイスパーカッションが広まった理由や社会背景は必ずあるはずで、それをしっかりと精査・研究していくべき時期に入ってきているんじゃないか。そうするともっと研ぎ澄まされた音楽になっていくんじゃないかと思っています。

 こう思い始めたのは、大学院に入学したからです。文章や記録として残すことの大切さを感じるようになりました。現在は「防災と音楽」という観点を中心的に研究していますが、ボイパやアカペラの研究も続けていきたいと思っています。

 かつて渡辺悠くんが「ボイパ本」という本を書きましたが、その際にさまざまな話を聞いてもらいました。ボイパ本では演奏方法を解説するだけでなく、「ボイパをする人はこういう演奏も聴くと良い」といった情報も載せられている。本として形に残っていることの価値は大きいと思います。

 

どんな環境でも演奏できる準備を

 

 では、なぜこんなにもボイスパーカッションが受け入れられたか。シンプルな理由として、やっぱり「身一つでできる」ことがあると思います。どこでもすぐにセッションができる。これはボイパならではの強みとして意識していくべきだと思います。

 たとえばぼくが使っているマイクは「ゴッパー」(SHURE SM58)なんですね。なぜかというと、世界中でいちばん使われているマイクだからです。自分の音を拡張してくれるマイクにこだわるのではなく、いちばんポピュラーなマイクに適合した出し方を研究していくことで、どんな状況下でも演奏できる準備をしておくことが大事だという考え方です。

 

 Permanent Fishとして韓国で演奏したときにはこれが役に立ちました。当時は日本ほど丁寧で繊細な音響環境は少なかったのです。これは「韓国が遅れている」という意味ではなく、向こうの歌手や演奏家はフィジカルが強いので、比較的粗雑な音響環境でも成立するんです。

 つまり日本だと「小さくハーモニーを作って音響で拡張する」という傾向が強いですが、韓国ではスピーカーの音が多少歪んでいても体制にあまり影響がない歌い方をしているんですね。ともかく、どんな環境でも演奏できるようなボイパの演奏法を研究してきてよかったと思います。

 

挑戦し続けることの大切さ

 

――身一つでどこででも演奏できる。ぼくも、その点こそがボイパの魅力だと思います。いまお話に出ましたがKAZZさんは「身一つ」でさまざまな挑戦を繰り替えてきました。Permanent Fishではとうとう「神戸から世界へ」をテーマに、海外へとチャレンジしていきました。

 

KAZZ:元気食堂のころから「世界に行ける」という思いはあり、その体現としてPermanent Fishはありました。

 2004年頃から自分でオーディションを企画し、全国に行って一人ひとりに会い履歴書を見て、カラオケボックスで歌を聴いていった。80人位に会ったと思います。そして韓国からのデビューを目指しました。

 

 韓国とのルートを作るのはほんとうに大変でした。政治上の日韓関係が変わると、すぐにライブがやりづらくなったりします。ベースのTakaakiくんが語学できたので助かりましたが、やはり韓国語が話せないと「なんでこっちの言葉しゃべれんねん」という感じがひしひしと伝わります。事務所だって急に無くなったり騙されるようなこともありました。メンバーはみんな、ものすごく傷つきました。

 その一方で、今でもお付き合いが続くような素晴らしい人たちにも出会えました。韓国はいわゆる「体育会系なノリ」の方が多いんですね。ライブが終わったあとの打ち上げで意気投合して、テレビの仕事が決まったりする。「一週間後に来てください!」とかね。こんなんで決まるんかとびっくりしていました(笑)。

 

 文化の違いに戸惑いながらも挑戦を続けました。だからこそ、2009年に「大韓民国文化芸能大賞」外国芸能人賞を受賞したことは嬉しかった。じつはそのときノミネートされたのは「嵐」とぼくたちだった。最終的に、韓国に行っている回数が多いことからぼくたちが選ばれた。たとえ「身一つ」でも、挑戦し続けることで結果につながることを実感できました。