2.「アカスピ」の誕生へ

藤井隆太 インタビュー

超満員のアカスピ。AJAA提供写真
超満員のアカスピ。AJAA提供写真

 

――全国での開催は、けっして簡単なことではないと思います。どのような経緯をたどったのでしょう。

 

藤井:まずは全国の同世代とつながりを模索しはじめました。たとえば九州では、九州大学アカペラサークルHarmoQ(ハモキュー)の坂口祥也くんと知り合いました。当時の九州では、関東ほど活発なライブ文化がなかったらしく、さすがに躊躇していましたが「まずは第1回をやってみよう」と直談判した。もちろん、「経験と実力のあるグループと、初心者がごちゃ混ぜになる場所」というコンセプトは大前提です。主催者が交通費を負担するかたちで、関西からゲストを招く方法を提案しました。

 

 そして記念すべき初の九州初ライブ(2011年11月)は実力派グループのpolka dots(京都大学アカペラサークルClazy Clef)をゲストとして実施にこぎつけました。すると大盛況。うれしかったのは、その年のKAJa!(関西アカペラジャンボリー、※7)へ、九州から300人が足を運んだという知らせでした。「人を動かした」というたしかな実感がこみ上げてきました。

 

 また東北大会(2012年5月)では、ハモネプ優勝グループのThe Gracoron(神戸大学アカペラサークルGhanna Ghanna)をゲストに招くかたちで開催しました。東北と九州のほか、北海道、関東、関西の合計5支部が立ち上がった。みんな、うきうきしてくれていました。ぼくとしては、この時点で満足していたんですね。

 そんなある日、Take it easy!副代表の竹内渉が「ここまで広がったなら次は全国大会じゃね」と言い出したのです。呑みの席でした。飲み屋ゆえにぼくも「それだ」と即答した。学生ノリというやつです。

 

 でもよくよく考えると、当時全国規模の大会といえるのはハモネプのほかにKAJa!(関西アカペラジャンボリー)とJAM(ジャパンアカペラムーブメント、※8)しかありませんでした。

 このふたつと決定的に違う毛色の大会…つまり、野球でいうところの甲子園のように、地域ごとに勝ち上がっていく性質の大会があるとよいと考え、2012年に「A cappella Spirits!」(アカスピ)を作り出しました。

 

 一般的にこの手の大会を開くためには、「上の世代」にあいさつしにいったり、筋を通す必要があります。でも当時は同級生の輪が強固で、所謂「イケイケ」な気持ちがあった。数年前には「MASA FESTA」という日本初の世界大会が、開催直前で中止、結果としては失敗となったことを知っていたので、アカペラ界がまとまりを失っているという雰囲気も感じていた。だからこそ「自分たちの世代で新しいものを作る」という想いがありました。今から思えば、ほんとうに調子に乗っていたし、今でもアカペラの地盤を作っていただいた先代の方々に未だに謝罪したい気持ちでいっぱいです。

 

 でもじっさいのところは、各方面にあいさつなどをしていたら、あそこまでのスピード感は出せなかったと想います。結果的には発案してから半年の間に第1回大会開催にこぎつけたのですが、地方の一次大会、二次大会を開きつつ、全国大会の準備を進める多忙な日々を過ごしました。

 

 大会運営なんて、したこともありませんし、思い返せば、協力してくれた方にたいしてはとても雑な扱いをしてしまったなと反省しています。そんななかニューヨーク旅行のチケットがあたっちゃって、せっかくなんでと渡米していたら、帰国後にめちゃくちゃスタッフに怒られたりなんかして(笑)。

 

――アカスピはどのようなコンセプトを据えたのでしょう。

 

藤井:やっぱり「Take it easy!」のコンセプトを踏襲して、とにかく敷居を下げてだれでも挑戦できることを目標にしました。

 

 当時、頭のなかに描いていた理想がありました。たとえば九州の離島で生まれ、海に向かって歌いながら育った女の子が、アカスピの舞台で歌う姿です。あるいは山奥で生まれた男の子が、這い上がって決勝をたたかい、優勝を掴み取るような姿。

 有名大学に行けなくても、アカペラが好きな人はたくさんいるはずなんです。みんな願わくば、有名大学に入りたいんですよ。でも、受験で落ちてしまった。たまたま数点差で落ちたくらいで、可能性が狭まるのはやっぱり良くない。「アカペラをやりたい気持ち」だけはみんなフラットだからです。自分が無名サークルという立場にいたからこそ、そういう考えになれたと思います。

 

 というわけで、「アカスピ」でも、参加条件を限りなくフラットにさせようと考えました。そこで取り入れたのが「iPhoneでの演奏動画投稿」でした。

 2012年前後は、iPhoneが爆発的に普及した時期です。学生の多くが持っていた。JAMやKAJa!はエントリー要項に「録音」とありましたが、地方や弱小サークルからしたら、良い環境での録音はけっこうたいへんなんですね。iPhoneに統一してしまえば、環境による格差がなくなると考えました。ぼくは「超革新的だ」と考えたんですが、蓋を開ければ誹謗中傷の嵐(笑)。「アンドロイドはだめなんですか」「ライン録音じゃだめなんですか」と。とにかくたくさん応募してほしかったので、最終的には「なんでもいいです」と言ってたんですけど(笑)。

 

 しかし結果としてはたくさん動画が集まってきました。それらをYouTubeにアップしつづけて、Twitterで広報していたら、反響がどんどん膨れ上がっていった。とても楽しかったです。

 ぼくたちがiPhoneを導入しなくとも、スマホを固定して歌う時代は、遅かれ早かれやってきたと思います。スティーブ・ジョブズがいまのアカペラをつくったと言っても過言じゃないですね(笑)。ともかく、テクノロジーによって、発信の敷居が下がったことは、ほんとうに良かったと思います。アカスピもその流れにうまく乗ることができました。

 

 地方大会も、ライブハウスをうまく活用しました。ライブハウスなら全国どこにでもありますし、機材のセッティングも必要ない。いまでこそライブハウスでのアカペラ演奏はよく見られる光景ですが、敷居を下げるという意味で、そういう状況をつくれたのも良かったです。

 他方で、悪い面も出てきました。そこらじゅうでアカペラライブが行われるようになったので、一回あたりの価値が下がったのです。これに関しては、のちほど話します。

 

 そんなこんなで、なんとかアカスピも決勝の日を迎えました。本当に泣きそうでした。感慨深いとかそんな理由じゃありません。赤字になりそうだったからです。

 

 決勝の会場はShibuya O-EASTでした。会場費だけで100万円単位です。当時はイケイケな学生だったので、勢いで借りちゃったんですよ。でもいざ目前になると、現実が襲ってきた。

 スタッフと「消費者金融に行くか」と話し合い、その日の夜にじっさいに電話していたところを、母親に見られた。「あんた何しているの」と。すると次の日に20万円ぽんと渡してくれたんです。泣きました。

 でも最終的には黒字が出てた。当時はチケットが4000円でしたが、400人集まってくれた。借りた20万円はなんとかそのまま返すことができました。

 

※7…Kaja!・・・関西アカペラジャンボリー。日本最大級のアカペライベントのひとつ。1998年から歴史を数え、過去にはチキンガーリックステーキやPHEW PHEW L!VEをはじめBABY BOO、チュチュチュファミリー、PYLON、トライトーンなど様々なプロアーティストも出演している。

※8…JAM・・・Japan Acappella Movement。1999年に初開催し2019年現在まで毎年行われている、日本でもっとも知名度の高いアカペライベント。審査を突破した限られたグループにのみ出場権が与えられ、全国の多くのアカペラプレイヤーが出演を目指している。創設者は奥村政佳。経緯は当サイトインタビューを参照