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おっくんにインタビューしました

 「おっくん」こと奥村まさよしさんにインタビューを行った。下記が該当ページである。

 

 奥村まさよし|人と人をつなぐスペシャリストへ

 

 まずはじめに、インタビュー依頼に快く応じてくださった奥村さん、そしてスケジュールなどさまざまな面で調整していただいたスタッフのみなさん、ほんとうにありがとうございました。たいへんなご多忙にもかかわらず、インタビューはとても丁寧に、かつ真剣に応じていただきました。こんな吹けば飛ぶような弱小サイトのために、時間を割いていただいたという一点だけとっても、すばらしい人格であることが確定的に明らかです。

 

 みんなおっくんを応援しよう!!!!!!!!!!!!!

 

 さて、以下の文章は今回のインタビューの意図や、奥村さんと話した際の印象についてある。散文だが、このサイト運営にかける想いを書いた。ぜひインタビューとあわせて読まれたい。

 

 

「抽象的な話」の価値について

 

 今回のインタビューでは、ひろく「文化的・社会的な可能性」といった視点でボイパが語られた。しかも日本における「ボイパ」の代名詞ともいえるような存在によって。そういう意味で、とても価値のある記事になったと思う。

 冒頭は現実的で具体的な問題(保育問題)について多く語られている。しかし後半に進むにしたがって「媒介者」という言葉が出てくるなど、話がやや抽象的になっていく(これは「奥村さんの話しぶりが抽象的」という意味ではなく、インタビュアー&編集者の私がかなり強引にそのような方向に話を持っていっている)。そして抽象的だからこそ、ボイパのいろんな可能性を見出す余剰があるというか、文化的な豊かさのある記事になっているのではないかと考えている。

 

 「現実的で具体的な問題」は、もちろんとても重要だ。保育問題でいえば、じっさいに私には幼い娘がいる。経済的な不安はつねに尽きず、娘を保育園にも親にも預けられず、ほとんど絶望的な気持ちになりながら日々を過ごした時期もあった。だからこそ「保育の問題を解決したい」と挑戦をはじめた奥村さんには、この機会にしっかりと語ってほしかったし、その力強い言葉にとても勇気をいただいた。

 

 他方で、当サイトのプロジェクトは「ボイパ」をなるべく広い視野かつ長いスパンで捉えなおすために存在している。ボイパという技術の特性が、ひとの生き方そのものに影響したり、社会に変化をもたらしたりする可能性について考えるのが、当サイトの目的だ。だから「現実的で具体的な問題」だけではなく、時代状況が変わっても価値を見いだせるような、抽象的で普遍的な話を聞き出したかった。

 

 結果的にこの記事は、いま現在の万人にウケるような内容にはならなかったのではないかと感じている(繰り返すがそれは奥村さんの話しぶりが原因ではなく、私の編集によるものである)。もっとわかりやすく、ダイレクトに、より多くのひとにリーチするような記事にする方法ならいくらでもあったはずだ。しかしそうはしたくなかった。10年、20年先のボイパプレイヤーが読んだ際にも、多くの示唆が得られるような内容でないと、インタビューする意味がないと考えたのである。

 

 じつは、当サイトがいま書いたようなコンセプトであるという説明を、インタビューの申込みの際に行っている。そのうえで、奥村さんは快く応じていただいたのだ。この多忙な時期にである。そういう意味でも奥村さんは文化にたいしてとても豊かで、おおらかな考えをお持ちであると感じた。そして、逆説的というか変な表現だが、そんな奥村さんがすべてを投げ打ってまで取り組まなければならない「保育」は、ほんとうにたいへんな問題に直面していると、改めて認識させられる機会にもなった。

 

奥村さんの魅力とは

 

 ここで唐突に自分の話をする。おっくんとの出会いについて。

 子どもの頃から歌うことが好きだった私は、思春期のころ、変声(声変わり)によっておおきなショックをうけていた。家族で訪れたカラオケで、「かつてあれだけうまく歌えた女声曲がなにもかも歌えなくなった」という事実に愕然とし、涙を流した経験が思い出される。楽しいはずのカラオケボックスを妙に暗い空気に包んでしまっていた。

 そんな苦しい日々を送っていたときにテレビに映ったのが、奥村さんであった。

 かれのボイパを見た私は「低くなった声を活かすことができる」と心の底から感動した。通学の自転車に乗りながら、風呂に入りながら、布団の中で、ところ構わず猛練習を重ね、ボイパの技術を身に着けた。

 

 ボイパによって自分に自信がついた。自分に自信がつくというのは、ひとにとってたいへんな出来事である。おかげでその後の人生はかなり好転したんじゃないかと思う。

 

 そしてあれから20年ちかくのときを経てなお、私はボイパにのめり込み続けている。こんなサイトを立ち上げるまでに至ってしまった。「こじらせ」といってもよいのかもしれない。しかしこのサイトがきっかけとなり、奥村さんと直接お会いできることになったわけである。人生なにが起きるかわからないなあと思う。中学生当時のおれが「おっくんと会った」と知ったら卒倒するだろう。ちなみにいま卒倒せずにすんでいるのは「あれはもしかして夢じゃないか」と思っている節がどこかにあるからである。

 

 それは冗談として、奥村さんはテレビで見る以上に魅力的であった。

 まず話し方はきわめて論理的である(さすが史上最年少気象予報士!)。その一方で、まるで子どものように嬉しそうに話すし、情熱もあふれている。目はとても鋭い。しかし穏やかさもある。さらにきらきら輝いていた。なんというか、いろんな側面を矛盾なく両立させているひとであり、それがかれの独特の魅力につながっているのだと思った。

 

 繰り返すが、私には娘がおり、はっきりいって子育て環境にはかなりの不安がある。しかし奥村さんならそれを解決してくれるのではないかと思えた。というか、「このひとといっしょに解決したい」と思えるような魅力があった。その魅力はいちど会ってみればわかる。奥村さんはすくなくとも夏の参議選までのあいだ、そこかしこで街頭演説をしていくはずである。その気になれば会えるはずだ。ぜひ会ってみるべきである。

 

 ボイパにはやはりさまざまな可能性があり、その可能性の実践者として行動し続ける奥村さんは魅力的であった。「人生のもっとも多感なころに、奥村さんに憧れることができてよかった」。そんなことを感じるインタビューであった。

 

 最後に繰り返しますが奥村さん、そしてスタッフのみなさま、インタビューへのご協力、ほんとうにありがとうございました。

 ちなみに私、おっくんボイパのものまねクオリティは日本随一じゃないかという自負があるのですが、チキンなのでついに本人のまえで披露できませんでした。つぎ会ったときにはぜひ披露したいです。