ボイパの歴史

 このウェブサイトでは、ボイパについて様々な視点で考えていく。まず最初に取り組むべきこととして重要なのは、「ボイパの歴史」をまとめ、共有する作業であろう。

 

 ボイパは模倣の文化である。「ドラムセットの模倣」という側面はもちろん、後進が先駆者の技術を模倣し、独自のアレンジを加える行為が繰り返されることで発展を遂げてきた。また、背景とする文化の異なる技術(ボイスパーカッションとヒューマンビートボックス)が相互に模倣しあい、影響を与えあうといったことも頻繁に起きている。

 こうした模倣の文化は、ボイパプレイヤーの多くが持つ「技術伝承への積極性」という精神が色濃く影響している。その精神については別項目で改めて詳述するつもりだが、Youtubeにアップされているハウツー動画の多さを考えれば、感覚的に理解することができるだろう。

 とにかく、模倣文化を基調とする無秩序な発展過程を、すべて語ることは困難を極める。私がこれから記していく歴史感に対し、読者によっては「〇〇が書かれていない」「〇〇はそれほど重要ではない」「過剰解釈である」といった意見も出ると思う。だが「はじめに」でも書いた通り、まずは一個人の見える範疇であれ、書き残す作業そのものが大切だと考えている。そしてその文章に対する反論のなかにこそ、ボイパの新たな捉え方や、新たな可能性の萌芽があると信じている。

 

 さっそくボイパの歴史を紡いでいくにあたり、私は以下で、ふたつのポイントに焦点を当てていきたい。ひとつめは、メディアである。

 

 ‎近代以降のあらゆる音楽表現の発展は、(広義の)メディアとの関わり合いを抜きに語ることはできない。特に、録音メディアや通信技術の誕生および発達が、音楽の発展に寄与してきたことは周知の通りである。ざっとその歴史を振り返ってみよう。

 まずは1877年のレコード誕生である。生演奏の代役という役割はもちろんのこと、多重録音を始めとしたそれまでにない人工的表現を可能とした。さらにターンテーブルに乗せることでミュージシャンの製作意図を超えたミックスが可能となる(レコード自体が楽器となる)など、まさに音楽表現の多様化に大きなインパクトを与えた発明であった。‎

 1920年代のラジオ放送開始は、それまで閉じられたコミュニティで消費されていた黒人音楽を世に広める契機となる。‎以前は譜面による音楽伝達が主だったが、ラジオの登場により西洋音階では表現しにくい黒人音楽の魅力(例えばブルースにおけるチョーキングやブルーノートなど)が、広く伝わるようになっていく。

 ‎そして1950年代にはテレビが普及。エルヴィスが腰を振りながら歌うパフォーマンスを映像で披露したことで、世界はロックに目覚めていくこととなる。以上で挙げたもののほか、「ミュージックビデオ」「音楽配信サービス」など、音楽の側面を語るためのメディア的なキーワードは無数に存在する。まさに音楽とメディアは切っても切り離せない関係にあると言える。

 

 話をボイパに戻すと、関心のある多くの読者は、「ハモネプ」「録音BBS」「Youtube」といった単語をあげるだけで、ボイパとメディアとの関係性の深さを察することができよう。他の音楽とおなじように、ボイパも様々なメディアから深い影響を受けつつ発展してきたのだ。これから私は、「メディアがどのようにボイパに影響を与えたのか」ということをひとつめのポイントとして、その歴史を捉えていきたいと考えている。

 

 もうひとつ、ボイパの歴史を整理する上で欠かせないポイントは、ボイパシーンを築いてきた「プレイヤー」を再評価していく作業である。

 ‎日本で始めてボイパが演奏されたのは約30年前と言われている。その間に、数多くのボイパプレイヤーが誕生し、その歴史を紡いできた。なかにはカリスマ的な魅力や行動力、卓越した技術によって、アカペラ界やヒップホップ界のみならず、広く一般にまで多大な影響を与えてきた奏者も複数いる。本論では彼らの活躍を、尊敬を込めて、できるだけ丁寧に紹介していきたいと思う。

 

 以上のふたつのポイント--「メディア」と「プレイヤー」を軸に、以降でボイパの歴史をまとめていく。この作業の中で新たに、論考すべき課題が見えてくるはずだ。それについては、別項目「ボイパ論考」にて深く掘り下げていきたいと考えている。 

 


参考文献

サエキけんぞう「ロックとメディア社会」(新泉社)