2.「はみ出し方」を考える

ハヤシヨシノリ インタビュー

チン☆パラではシングル・アルバム計8作品、DVD1作品をリリースした
チン☆パラではシングル・アルバム計8作品、DVD1作品をリリースした

――ハモネプはストーリーを生み出していて、そのなかでチン☆パラは大きな存在感を放っていました。そしてそのストーリが、「ストリートライブ」を介して視聴者とつながっているのも、すごい仕組みだと思っていました。当時はアカペラにおけるストリートライブの聖地として「大宮駅」があり、ハモネプという物語の中心にもなっていました。大宮駅は、埼玉大学からほど近い場所に位置していますね。

 

ハヤシ:CHOCOLETZでは、大宮駅でストリートライブをすることがたしかに多かったです。ハモネプで繰り返された「アカペラはストリート発の文化」という言葉は、間違っていないと思っています。

 

 大学1年生の頃、お台場の「デックス東京ビーチ」という商業施設で、アカペラのプログループがよくストリートライブをしていました。そこでVocal 7th BeatやTRY-TONE(トライトーン、※10)の演奏を生で見ることができました。当時はMr.no1seさんがいて、北村嘉一郎さんが演奏していた。ボイパのスタープレイヤーが、すぐそばに、たくさんいたんです。もちろん、MaLさんやテツさんのような近い世代の先輩も、ストリートライブで会場を沸かせていた。「ストリートで目立ちたい」という気持ちがあったから、練習にも力が入りました。

 

――そしてじっさいにチン☆パラは、ストリートライブで何百人もの観客が押し寄せているグループになりました。ハモネプ全国大会出場後に出したミニアルバム「La-Punch」は25万枚、オリコンチャート6位というセールスを記録しましたね。

 

ハヤシ:「La-Punch」はチン☆パラとして初めてレコーディングを行った作品です。レコーディング会社もアカペラを扱うのは初めてだったと思いますが、チームを組んでたくさんの試行錯誤をした思い出があります。

 まずは1曲通してやってみる。でもどこかでミスをしてしまいます。通常のバンドでしたら、メトロノームを鳴らしながらドラムを叩き、そこにベースを乗せて他の楽器を録音し…という方法をとることが多いことを知り、同じようにやろうとしますが、うまくいきません。Aメロだけ録り、次にBメロを…と積み重ねて、なんとか作品にさせました。

 

 チン☆パラとしては以降もレコーディングを繰り返していきました。ボイパの録音方法としては、バスドラム、スネアドラム、ハイハットなどそれぞれの音を録音し、打ち込みのように当て込むような方法をとっていました。でもやはりどこか機械的な感じがして、生音の良さが死んでしまうような不安を感じていました。

 そんななか、6作目となるシングル「Days」で、自分にとって革新的な方法と出会いました。あるフレーズを何度も繰り返して録音し、最も良いグルーヴだと思う一節を採用し、複製していく方法です。ひょっとすると今では一般的かもしれませんが、当時はボイパでそのようなやり方を採用していた人はほとんどいなかった。試行錯誤のなかで出会ったこの方法は、スメルマンにおいて曲を作っいく上でも、大切な手法となりました。

 

――アカペラという手法でさまざまな挑戦をする姿はほんとうにかっこよく、憧れていました。とくに2002年の年末にリリースした「星に願いを」というシングルは、DJやラップなど、ヒップホップの要素を取り入れたアカペラスタイルで、ミュージックビデオもとてもかっこうよかったです。

 

ハヤシ:「星に願いを」を書いてくださったスケボーキングさんはミクスチャーの真髄とも言えるようなバンドで、以前からほんとうに好きでした。この曲では主にSHUNさん、SHUYAさんの2人がクリエイターとして参加してくださったのですが、すべてにおいてとにかく密度が濃く、勉強になりました。

 その一方で、悔しい思いも強かったです。「ヒップホップ」というジャンルは、自分のアイデンティティを打ち出すことに価値を置く文化とされていますが、それにもかかわらず、他人に曲を書いてもらうかたちとなりました。

 

 チン☆パラとしては、もっとアーティスティックなことをしたかった。でも、その領域まで技術的にも音楽的にも届かなかったことの表れのようでした。自分たちのレベルを、把握させてくれた作品でもあります。そのときの悔しさは、のちにスメルマンの活動へとつながり、消化されていくのですが、それはまだ先の話です。

 

――このインタビューに際し、チン☆パラの楽曲を聴き返してきました。スメルマンとのつながりはさまざまなところで散見されると思いました。たとえば「チン派ロック」にボーナスCDが付属しており、10秒ていどのジングルのようなオリジナル曲がたくさん入っています。

 これは私の持論ですが、ジングルとアカペラの相性は、抜群だと思っています。ジングルは視聴者にブランドイメージを与えたり、雰囲気を切り替えるといった役割を持ちますが、アカペラならでは驚きとか美しさとマッチしているような気がするのです。そして「ジングル×アカペラ」の良さをはじめて、最大限に発揮してくれたのがあのボーナスCDだと思います。さまざまなジャンルの音楽を渡り歩く、まさにミクスチャーな曲が並んでいます。

 

ハヤシ:あのジングルは、じつはほとんど、おれがつくったんです。

 

――そうなんですか!それは知らなかったです。

 

ハヤシ:チン☆パラの頃からいくつか曲を自作していたのですが、うまく採用されなかった。でもジングルはなぜか採用されました。スメルマンでも、当時と同じロジックの中でつくっていたから、いまにして思えば、この経験が基礎になっているかもしれません。

 

――そんな新たな価値を提示し続けてきたチン☆パラですが、2004年に解散します。当時大学生のメンバーが多かったのですが、やはり葛藤も大きかったと思います。

 

ハヤシ:当時は売上が落ちてきて、給料が下がるが契約更新するかどうかという選択肢に迫られました。自分たちのことを俯瞰できて、ワタナベエンターテインメントの「商品」として振る舞えていたメンバーは、「大学に戻る」という選択肢をとりました。一方でおれは、続けたかった。将来のこととか、あまり考えてなかったから。なんというか、こういう岐路に立たされたときに、意思統一できていないことが、露呈してしまうんだな、と感じました。

 

――将来を左右するような決定は、人数が多ければ多いほど意思統一は難しいですよね。またこれは偏見もあるかもしれませんが、アカペラグループの場合、特にコーラスパートのメンバーは「プロとして活動していく」という決断にためらう理由が、少なからずあるのではないかと思っています。

 コーラスの楽しさのひとつに「自分が消える」という快感があると思います。「ハーモニーとして溶け込み、ボーカルを引き立てる」というモチベーションと、「プロとして何かを表現したい」という気持ちには、齟齬が生じるのではないかと感じます。

 

ハヤシ:まさに、同じことを考えていました。リードボーカル、ボイパ、ベースの場合はセクションが独立しているので、あるていど自分の裁量で、表現を決めることができます。

 でもコーラスの場合は、ひとりで決められる範囲が比較的少ない。たとえばロックバンドの場合、和音を司るギターはアイデンティティや個性を発揮できますが、コーラスはなかなかそうはいかない。悩ましいんじゃないかと思うんですよね。

 この観点から、スメルマンでは「1人=1セクション」という形を重要視することにしました。「コーラスは弦の一つでしかない」というのではなく、一人ひとりが楽器のひとつと捉える。たとえば「エレクトリックコーラスのパート」「ボーカルのハモリやコーラスを行き来するパート」など、役割を明確化させ、各々が存在意義を見いだせる状態をめざしました。

 

 メンバーが5人に減ったことも影響しました。スメルマンは2004年当初、6人で活動を開始しましたが、2007年に5人となったんです。人数が減ることで、どうしても音が「スカスカ」に聴こえてしまう。この状態をどのように活かせばいいかと、悩みに悩んだ時期があったのです。エフェクターを入れてみたり、サンプラーをいれてみたり。いろいろ試したけれど、あまりうまくいかなかった。

 

 でもやっぱり、人は、ピンチのときに何かをひらめくんですね。ひらめきのヒントとなったのは、ビースティー・ボーイズ(※11)でした。

 ビースティ・ボーイズでは、基礎となる曲のうえに、3人のMCが掛け合いのようにラップするかたちで作品としています。これを参考にしてみたらどうかと考えました。

 

 幸い、うちには強力なベースマンがいますし、おれがボイパをやればトラックとしてはそれで成立する。ウワモノで遊べる下地はありました。Aメロ・Bメロはラップの掛け合いを中心としてかなり「スカスカ」に作り、サビでは、アカペラのカタルシスであるところのハーモニーを効かせて重層にした。サビで「開く」イメージをつくるためです。

 こうした試行錯誤を続けるなかで、アカペラの魅力がひとつ見えてきました。「制約」があるからこそ良い、ということです。アカペラにおける制約とは、言うまでもなく「声だけ」というルールです。

 

 無数の選択肢は、ときに人を困らせます。オケやピアノを使える状態だったら、スメルマンが何かを生み出すのは難しかった。制約を大切にしつつ、そこからすこしだけ「はみ出す」。そのはみ出し方こそが自分たちのアイデンティティになっていきました。よく言われる話ですが、学校の不良は校則があるからこそ付加価値があります。校則がなかったら、不良の存在にはなんの価値もなく、魅力的も生まれてきません。

 

 ハモネプでは「声のみで作られる」という制約をしっかり提示してきたからこそ、そのなかで悪戦苦闘するひとが生まれたり、そこから何かはみ出てやろうという工夫が生まれてきた。そういう必死さのなかに、「ストーリー」が生まれるきっかけがあったと思っています。

 スメルマンで目指してきたのは、まさにその部分でした。

 

 今の時代は、音楽をやるにしても大変ですよね。情報にすぐにアクセスできて、選び放題。そんななかで活躍する最近のアカペラグループには、ほんとうに「恐れ入りました」といった気持ちなのですが、一方で「制約の設定と、そこからはみ出す」という感情移入の仕掛け(ストーリー)を作るのは、とても難しくなってきていると思います。

※10…日本の代表的な混声アカペラグループ。ジャズボイスパーカッショニスト・北村嘉一郎もかつて所属していた。

※11…米国の音楽ユニット。ロック楽曲をサンプリングしラップを乗せる「ラップロック」の雛形をつくった。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」で第77位。2012年ロックの殿堂入り。