はじめに

 中学生のある時期、私は夜毎、さめざめと泣いていたことを覚えている。声変わりが起きたことで、大好きな女性アーティストの曲や男性アーティストによる高音キーの曲が、ことごとく歌えなくなってしまったからだ。

 

 冒頭からいきなりこんな自慢をしても仕方がないのだが、小学生の頃の私は、少なくとも学級の中で「歌が上手いやつ」と言われていた。合唱コンクールでは常にリーダー的なポジションで、週末に家族と行くカラオケボックスでは高得点を連発していた。だが、ある時を境にレパートリーのすべてが歌えなくなってしまった。いうまでもなく、声変わりのせいである。

 ‎パート変更やレパートリーを入れ替えればよいという単純な話ではない。自分の歌声を愛していた思春期の少年にとってその変化は、アイデンティティが壊れてしまうような大事件だった。とにかく、とてもつらい出来事であったのだ。

 

 「もう二度と、歌うことをやめてしまおう」――そんな自暴自棄に陥っていたころ、テレビ番組に現れたのが、ボイスパーカッショニストの奥村政佳だった。

 彼が演奏するボイパに、私は一瞬でとりこになってしまった。人間離れした打楽器の模倣技術に呆然とし、ほかのアカペラパートとアンサンブルしたときの音の広がりに耳を疑った。そして何よりも、「低くなってしまったこの声を生かすことができる」という、絶望から救われたような感覚を抱いたことを記憶している※1

 

 それから私は、なにかに取り憑かれたかのようにボイパの技術を覚えた。そして17年経ったいまなお、ボイパに魅了され続けている。先日もまた、マイクを握り、ステージに立ってしまった。

 ‎私と同じように、日本中の少年や青年が、あの時の奥村の演奏に心を震わせ、あるいは救われ、人生を変えたのではないかと思っている。その好例が、日本を代表するヒューマンビートボクサーのDaichiだ。かれも同じ頃、テレビ番組で奥村の演奏を見て感動し、ヒューマンビートボクサーとしての歩みをはじめたと、のちに語っている※2

 

 21世紀のはじめ(まさに2001年)に奥村がテレビ番組に登場したことでうねり始めたボイパのムーブメントは、2005年のYoutube登場以降、さらに熱量を増していった。そしていまでは、全国のライブハウスでヒューマンビートボックスのパフォーマンスが行われ、地域の公民館で子ども向けのワークショップが実施され、日本中の大学キャンパス内でアカペラグループのボイスパーカッションのパートがリズムを刻んでいる。

 

 2018年現在、ボイパは、日常の風景になった。

 

 しかし、それにも関わらず、ボイパについて人文科学的に語った書籍や、論文や、ウェブサイトが、この日本にはほとんど見当たらないのである。

 たとえば、日本のボイパの歴史を語る上で欠かせない人物――例えば北村嘉一郎、Voice Percussion KAZZ、 渡辺悠、Mr.no1se――の名をグーグルの検索窓に列挙したとしても、彼らについて体型的にまとめられたウェブサイトは見当たらない。ボイパがテレビ放送をきっかけに大流行してから20年、日本で初めて演奏されてから30年以上が経つと言われるが、その歴史が、テクストで残されていないのだ。

 

 ‎こうした状況に、危機感のような思いを抱いたのが、このサイトを作ろうとしたきっかけである。

 

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 さて、ここまでの文章で私は「ボイスパーカッション」「ヒューマンビートボックス」というふたつの言葉を登場させた。

 これらの言葉はそもそも、発祥や背景とする文化が異なるうえ、それぞれのプレイヤーのアイデンティティにも深くつながっている※3。だからこそ本来であれば、論じる上で使い分けには十分な注意が必要である。事実、これらを明確に分類して語られることがとても多い(明確に分類しようと試みる言説もまた多い)。

 ‎その一方で、とりわけ日本においては、これらの表現形態は互いの範疇を侵食し合い、文化的・技術的に影響を与え合いながら進化を遂げてきた経緯がある。このように複雑に絡み合った事象の本質を追及するためには、領域を過度に区分しすぎず、全体を俯瞰して見る視点も必要だ。

 

 ‎ヒューマンビートボックスを学術的に研究している河本洋一教授(札幌国際大学短期大学部)は、ボイスパーカッションやヒューマンビートボックスの「生々しい描写性」に注目しつつ、これらを【「ツー」「ドン」「タン」といった言語音ではなく、非言語音によって直接的に模倣される音】として「非言語音による直接的模倣音」と名付けている※4

 このウェブサイトでは、この定義を借りつつ、非言語音による直接的模倣音」かつ音楽的表現の意図で使われる演奏形態ボイパと定義したい。

 

 ‎「ボイパ」という言葉に抵抗感を示す人が一定数いることは承知している※5。その一方で、すでに世の中に広く普及してしまった言葉でもある。一般的にはボイパと聞けばヒューマンビートボックスもボイスパーカッションも区分けなく想像してしまう人が多かろう。その状況を肯定的に踏まえ、この言葉を採用することにした。

 この上で、ボイスパーカッション、ヒューマンビートボックス、あるいはマウスドラミングを明確に区別して論じる必要性が出てきた際には、適宜それぞれの名称を用いたいと思う。

 

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 現代は、日本の歴史上もっとも、「非言語音による直接的模倣音」を駆使した音楽表現者が多い時代であると言えよう。 そして‎この先さらに人口は増え、ボイパ文化は100年単位で続くであろうと考えている(少なくとも私はそう信じている)。その黎明期たるいま現在の視点を、できるだけ正確に、丁寧に文章で残さなければならないーーそんな使命感にかられているのである。

 

 ちなみに、使命感といっても、「歴史的な責任を背負う」といったような、大それたものではまったくない。

 ‎このサイトに記していく文章は、いちボイスパーカッショニストの、体験に基づく個人的な世界観でしかない。 ‎もちろん、すべての文章において、できるだけ論拠に基づく情報を流していくつもりだ。しかし私は社会学者や批評家ではない。論文や批評といった文章に触れることの多い人にとっては、素人による無責任な戯言にしか見えないだろうと思う。じつは私自身もそう思っているし、だからこそ、ぎりぎりまで公開を躊躇した。

 

 それでも後世からみれば、たとえ一個人の主観だとしても、ある程度論理的な態度で、経験や事実に基づいた長文のテクストを残すことは、価値のあることだと思っている。それも、膨大な情報量の中に流れていくツイッターでも、わかりやすさを追求したまとめサイトでもない形で。 ‎

 

 そのうえで、できれば、私の見方に対する反論や、賛同や、さらなる深い考察が現れてほしいと願っている。そうした動きの中にこそ、ボイパが後世へより深い考察とともに残り、語られていくきっかけが生まれると信じているからだ。このサイトの文章が「ボイパの歴史」という果しなき大河の一滴になればよいと思う。

 

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 前書きが長くなってしまった。堅苦しくなったが、結局は、ボイパがほんとうにたくさんの人に愛されてほしいという、純粋な想いしかない。思春期の私を絶望から救ってくれたボイパが、もっともっと多くの人に親しまれるために、いちプレイヤーとしてどうあるべきか。当サイトは、それを考えるための試みだ。

 

 具体的には下記を主なコンテンツとして当サイトを運営していく。

 

歴史

 ・・・ボイパが生まれ、歩んできた歴史をまとめる

論考

 ・・・歴史をまとめた中で見つかった観点を深堀りする

インタビュー

 ・・・ボイパプレイヤーや関連する人物に聞く

データベース

 ・・・関連用語、ボイパプレイヤー等を紹介する

ブログ

 ・・・ウェブ製作状況や論考のアイデアを綴る

 

 ぜひ読んでいただいた方と、ボイパについて一緒に考えたい。あるいは批判や賛同をしてくれるボイパプレイヤーと、いつかセッションをすることが出来れば、この上ない幸せである。

 

 

※1…奥村自身、ボイスパーカッションを始めた理由が声変わりであるとのちに各所(ハモネプMASTER BOOK、ウェブサイト「えのたんの部屋」でのインタビュー等)で明かしている。

※2…DaichiはAFRAとの対談で次にように語っている。

 僕は、テレビの「ハモネプリーグ」でRAGFAIRさんが出てる回を見たのが最初です。(・・・)ビートを含め全部人間の声だったってことを後から知って、すごい衝撃を受けました。「じゃあ、あのドラムの音は何だったんだ!?」と。でも他の人ができるなら、僕にもできるんじゃないかな、自分でもやってみたいなと思って始めました。それが小学5年生くらいの時です。

KAI-YOU.net「Daichi×AFRA 特別対談 ヒューマンビートボックスの未来」(http://kai-you.net/article/1138)より引用。カッコ内引用者。2018年2月17日閲覧。

※3…ボイパについて親しみが少ない読者にはピンとこないかもしれないが、「ボイスパーカッション」と「ヒューマンビートボックス」を混同させることに抵抗感を示す人は多い。「ボイスパーカッション」は主にアカペラ表現における1パートを指して用いられる(海外では「ヴォーカルパーカッション」「マウスドラミング」等と称されることも)。一方で「ヒューマンビートボックス」はヒップホップ文化の中から生まれたとされる。当サイトでは筆者の経験ほか様々な理由からボイスパーカッション文化を中心に据えたうえでボイパ全体について論じるが、ヒューマンビートボックス文化を中心にした視点でものちに書きたいと考えている。

※4…河本教授が2012年に発表した論文「ヒューマンビートボックスの可能性についての一考察」より引用。かれは運営するウェブページにて、ヒューマンビートボックスに関する様々な論文を発表している。河本教授はまた、ボイスパーカッションやヒューマンビートボックスのほか、ボディパーカッションなどを想定しつつ、【人間の身体から発せられる様々な音(音声)で創造される声楽以外の音楽表現を包括する概念】として「身体楽」(しんたいがく)という造語を使っている。この造語の定義を借りた場合、当サイトで用いる「ボイパ」という言葉は、「ボディパーカッションを除いた身体楽」つまり「口や鼻や音声を使った声楽以外の音楽表現」の事を指すことができる。河本教授の研究はプレイヤーの取材に基づいており、身体学の確立に向け志も高く非常に活動的である。今後も様々な場面で引用したい。

※5…そもそも「ボイスパーカッション」は日本独自の名称であり、海外では「ヴォーカルパーカッション」が一般的であると言われる。「ボイパ」はフジテレビ「力の限りゴーゴゴー!!」内のコーナー「ハモネプ」(2001~放送)で使われ始めた造語であり、その誕生過程に見られる商業性や、多様な表現形態をひとつの言葉でひとくくりにされることへの忌避から、抵抗感を示す人は多いように見受けられる。



参考

・KAI-YOU.net「Daichi×AFRA 特別対談 ヒューマンビートボックスの未来」(http://kai-you.net/article/1138)

・ヒューマンビートボックス研究Humanbeatbox-札幌国際大学短期大学部河本洋一研究室(https://www.humanbeatboxlab.jp